元日に発生した能登半島地震から間もなく1年。指に重い傷を負った吹奏楽部員が大好きな楽器を吹けなくなっても前向きに将来に向かう様子を取材しました。
片山彩菜さん、18歳。左指には白いガーゼが巻かれています。今年1月の地震で、輪島市の祖父母の家に帰省していた片山さんは、道路と電柱の間に左手の指を挟まれました。
片山彩菜さん
「最初は動かないなんて思っていなかったので、早く治してまた(楽器が)吹けるようになりたいとか思っていたんですけど、治療していくうちに『これ動かないんだな』と、ちょっとずつ受け入れていくしかなかった」
今、片山さんは人差し指の関節を動かすことができません。吹奏楽部で担当していたホルンを吹くことはできなくなりました。
今でも高校時代の写真を見返すことがあるという片山さん。後輩の練習を見に行った後などに、またホルンを吹きたくなります。
片山彩菜さん
「ホルンを吹いている時の自分が一番生き生きとしていると思うので、すごく好き。この時はホルンができなくなるなんて思っていなかったので…。またみんなと音楽を続けていたのかなと思って。こうやってじっくり見ると、『吹きたいなぁ』と思ってきちゃって、ちょっと辛いです」
大好きなホルンを失った片山さん。それでも今、前を向き、歩き始めています。この日は、治療を受けた市立輪島病院の看護師と再会しました。
治療に携わった 看護師 山下明美さん
「傷だけが思い浮かぶんです、『傷はどうなったかな』と。元気な様子がわかって、とても嬉しい」
片山彩菜さん
「『痛くない?大丈夫?』と気を使っていただいて、その言葉がすごく印象に残っています。何回も何回も言っていただいた」
今、片山さんは災害医療に携わる理学療法士になるため大学に通っています。
片山彩菜さん
「被災して自分が支えてもらった分、今後、もし自然災害とかが起きたときに被災した方がいたら心の支えにもなりたいし、笑顔が見られるようにしていきたい。あの経験がなかったら災害医療に携わろうとも思わなかったかもしれないので、大きい経験だったと思います」
音楽についても、新たな一歩を踏み出しました。けがをした左手の指をあまり使わない金管楽器の「メロフォン」を手に取ったのです。
片山彩菜さん
「(Q.表情が明るい気が)自分でも音楽をやっている時が一番楽しい」
片山さんは将来、災害医療に携わりながら「自分のような経験をした人を音楽でも支えていきたい」と考えています。
片山彩菜さん
「音楽で心を動かすとか、誰かの支えになることがあると自分は思う。そういう面で支えていきたいなと」
震災からおよそ1年、片山さんには笑顔があふれていました。