急転直下の「相互関税」猶予、交渉トップの日本にチャンスあり【播摩卓士の経済コラム】

急転直下、わずか13時間での方針転換でした。アメリカのトランプ大統領は、9日、同日に発動したばかりの「相互関税」の上乗せ分を、中国以外には90日間猶予すると表明しました。交渉を主導するベッセント財務長官は、「日本が列の先頭にいる」と述べました。
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金融危機の兆候がトランプを変えた
朝令暮改とも言える関税猶予の決定は、トランプ氏自身が認めているように、金融市場の「反乱」が大きな理由です。発動直前から、株安、債券安、ドル安のトリプル安がすさまじい勢いで進み、とりわけアメリカ国債が売られて長期金利が急騰したことに、金融関係者は肝を冷やしました。10年債の利回りは、前週末の3.9%から一時4.5%を超える水準まで高まったのです。
通常はリスクを避ける状況になると、世界一安全なはずの米国債には資金が集まるものです。それが急落するのは「米国売り」が起きていることの証であり、米国債を保有する世界中の投資家が含み損を抱えることになります。すでに株価の急落で、金融市場では損を承知で保有する資産を換金する動きも始まっていて、高騰が続いていた金すら、売られる状況になっていました。
放っておくと、どこかで突然死する投資主体が現れ、信用不安や金融危機が起きかねないとの懸念が急速に高まりました。ウォール街で債券取引のプロと言われたベッセント財務長官が、トランプ大統領を説得したことは、想像に難くありません。現実主義者のトランプ氏は、いったん引くことを決断したのです。
トランプ政権内のパワーシフトが始まった
これまで政権の通商政策では、強硬派のナバロ上級顧問が一律関税を主張するなど、その主導権を握ってきました。ビジネス派のベッセント氏らが、これを抑えようと折衷案を模索する展開が続き、綱引きの結果として、一律と上乗せを併用する「相互関税」や、「相互関税」と「品目別関税」が並び立つといった形になったと言われます。
しかし、今回の市場の「本気の懸念」を受けて、今後はベッセント財務長官が交渉の取りまとめ役を担うことになりました。通商交渉の取りまとめ役を財務長官が担うと言ったことは聞いたことがなく、政権内のパワーバランスが潮目を迎えたことを示しています。
ベッセント氏は為替に関心
関税をめぐる日米交渉は、自動車から防衛費まで幅広い範囲に及ぶとみられますが、ベッセント財務長官は、ドル高円安の是正にも関心を示しています。そもそもトランプ大統領は、貿易赤字の要因として、他国の通貨安を批判してきただけに、行き過ぎた円安是正に向けた取り組みで何らかの合意ができる可能性があるでしょう。
円安是正は、想定以上の物価高に苦しむ日本にとっても、いわば「渡りに船」です。3%以上の物価上昇を緩和し、実質賃金をプラス領域に安定させることは、経済運営の目標でもあり、その意味では大きなチャンスです。
アラスカ産LNGも焦点
ベッセント財務長官は8日、アラスカの液化天然ガス(LNG)の輸出事業に日本や韓国、台湾が資金拠出することに強い期待感を示しました。これも主要なテーマです。
日本にとって、アラスカからのLNG調達は、エネルギー安保に資するだけでなく、米大陸東部や南部より距離的にも近いという利点があります。その一方、アラスカ北部のガス田から、永久凍土に千数百キロに及ぶパイプラインを敷設するコストは大きく、日本側の関係者からは「とても採算に合わない」との声も聞かれます。日本だけでなくアメリカや第3国が、どのようなスキームなら取り組むことが可能なのかを慎重に探ってチャンスに変える努力が欠かせません。
コメは切り札になり得るか
ベッセント氏が直接言及したことはありませんが、トランプ氏が繰り返し触れているコメ輸入は、交渉の切り札になり得るかもしれません。コメのミニマムアクセスといった制度の大枠は変えなくとも、現在、コメが足りないことは確かなのですから、アメリカ産のコメの輸入を増やすことは、理にかなっていると、私は思います。
100万トンあった備蓄米は、すでに21万トンを放出し、政府は、今後も毎月10万トン放出する方針を発表しました。つまり備蓄米は60万トンなくなり40万トンしか残りません。これでは不安です。現実問題として、国内で備蓄米を積み増すことは不可能なので、アメリカ産のコメを備蓄米として購入することも検討に値するのではないでしょうか。こちらの「求め」を、高く「売る」ことができるかもしれません。
良し悪しはともかくとして、トランプ政権との交渉では、トランプ氏自身の納得感が非常に重要です。相互関税の発表の記者会見で、トランプ氏がわざわざ日本の「コメ」と「自動車」と「安倍元総理との思い出」の3つに、自分の言葉で触れたことは大きなヒントです。
結果を出したいトランプ政権
今、トランプ政権は、日本以上に、関税交渉で結果を出したいと思っていることでしょう。だからこそ、トップバッターに、組みしやすい日本を選んだのです。日本との交渉成果を見せて、各国との交渉につなげたいわけで、日本とさえ話がまとまらなければ、この政策は完全に行き詰まってしまいます。そこに日本にとってのチャンスもあるはずです。
これまで数々の難しい通商交渉を乗り越えて来た日本が、世界に恥ずかしくない形で、関税引き下げを勝ち取れるか、世界が固唾をのんで見つめています。
播摩 卓士(BS-TBS「Bizスクエア」メインキャスター)