“静かな時限爆弾”…命を落とす「アスベスト(石綿)被害」とは(1980年~)【TBSアーカイブ秘録】

かつて“奇跡の鉱物”と呼ばれたアスベスト(石綿)は、優れた断熱性・防音性・耐火性などから、様々な建築材料や工業製品等に多く利用されていました。しかし、飛び散った繊維の吸引による深刻な健康被害が判明し、現在も既存建物からの除去や被害者補償が大きな問題となっています。(アーカイブマネジメント部 森 菜採)
いつから使われていた?
日本では昭和の高度経済成長期に、鉄道車両や多くの建設場所で使われるようになりました。
1970年(昭和45年)頃から90年(平成2年)頃まで、年間30万トンものアスベスト原料が輸入され、建材や配電盤、そして自動車のブレーキなど身近にあるいろいろなものにアスベストが使われていました。
アスベスト禁止までの課程
1972年(昭和47年)にWHO=世界保健機関の専門家会議で、アスベストの発がん性が指摘されて以降、ヨーロッパ諸国は次々とアスベストを全面使用禁止にしていきました。日本では最終的に石綿含有製品の完全使用禁止(猶予期間終了)に至ったのは2012年(平成24年)と、わずか十数年前のことです。
アスベストが使われていたのは遠い昔の昭和時代だけではなく、平成でもまだまだ使われていたということを知らない人も多いのではないでしょうか。
危険性の認識は?遅れた対応
1986年(昭和61年)1月の時点でアメリカが発がん性物質として全面使用禁止の方針を打ち出す中、日本では建設省(現国土交通省)が「現状の使用方法では問題ない」との見解を示し、すぐには使用制限が設けられませんでした。
明らかになってきたアスベストの怖さ
しかし86年の1月に『問題ない』とされたアスベストは徐々に肺がんを引き起こす“発がん性物質”として認識されだし、その年の3月に旧沖縄庁舎を解体する前には、アスベスト除去作業が行われました。
翌年の1987年(昭和62年)には、アスベスト問題がさらに拡大していきます。東京大学では、アスベスト廃絶を求めるシンポジウムが開催されました。
そして大きな問題として取り上げられたのが学校の壁への吹きつけアスベストの使用です。そのため多くの学校で除去作業が実施されました。
さらに理科実験用の『石綿金網』(通常の使い方で飛散する可能性は低いが、劣化などの破損でアスベスト繊維が空気中に飛散する可能性がある)などもアスベストを使っていました。
出始めた健康被害
アスベストが“静かな時限爆弾”と言われるのは、繊維を吸い込んでから肺線維症(じん肺)や悪性中皮腫、肺がんを引き起こすまでに長い潜伏期間があるからです。最短で10年、平均で30~40年、場合によってはそれ以上の歳月を経て発症することがあります。
徐々に高度経済成長期にアスベストを扱う職場で働いていた人々を中心に健康被害が出始め、建材製造メーカーの従業員が肺がんや中皮腫で死亡していたこと、工場の近隣の住民や従業員の家族が中皮腫を発症・死亡していたことなどが明るみになってきました。
1988年(昭和63年)には造船工場に勤めていた作業員8人が、アスベストの粉じんにさらされじん肺にかかったとして、会社側を相手どり3億5000万円余りの損害賠償を求める訴えを起こしました。
その後も在日アメリカ軍横須賀基地やセメント工場や機械メーカー、建材メーカーなどで働いていた元従業員や死亡者の遺族たちが「肺がんやじん肺を患ったのは、劣悪な作業環境の中で吸いつづけたアスベストの粉塵などが原因だった」として訴えを起こし、多くの国民の健康問題であることが広く知られるようになり、社会的な問題になりました。
家庭で2次被害も
その後2005年(平成17年)には工場に出入りしていない従業員の妻も、アスベストが原因のガンである中皮腫で死亡していたことがわかりました。夫の作業着に付着したアスベストを洗濯した時などに吸ったことが原因と、診断されました。
その他にも、父が持ち帰った防塵マスクで遊んでいた子供が40代になってから中皮腫を発症し死亡。これも家庭内の間接曝露ではないかといわれています。
なぜ国の対応は遅れた?
実は旧労働省は1976年(昭和51年)にはアスベストによる健康被害が労働者本人だけでなく、その家族や工場周辺住民にも及ぶ危険性を認識していたことが分かりました。旧労働省が同年に出した「石綿紛じんによる健康障害予防対策の推進について」という通達の資料の中で、イギリスで家族や周辺住民にも被害が出ているという記述があることから判明。
これについて2005年(平成17年)、当時の厚生労働副大臣・西博義氏は、この事実を認め「労働災害という狭い見方で家族や周辺住民への対応ができなかったのは決定的な失敗だった」と述べています。
過去に日本でも1992年(平成4年)にアスベストの原則使用禁止を定めた法案が議員立法で国会に提出されていましたが、法案は1度も審議されず廃案となってしまいました。
当時、廃案の影に業界団体の『日本石綿協会』の反対があったといいます。自民党や各省庁などに送られたという協会の意見書には「石綿による健康障害を防止しながら使用を続けることが可能である」などと書かれていました。
現在の状況
2021年(令和3年)に最高裁が国と建材メーカーの賠償責任を認めましたが、建材メーカー側が賠償に応じるケースは少ない現状があります。
そんな中、大阪高裁で2025年(令和7年)8月8日に建材メーカー12社が元建設作業員や遺族ら115人に対し、約12億5000万円を支払うことなどで、新たに和解が成立しました。
その前日8月7日には東京高裁でも建材メーカー7社が原告400人に約52億円を支払う和解が成立しています。