入管の“原則”“無期限”収容は国際人権法に違反か?1300日収容された男性の裁判が裁判官に問うものとは?【“知られざる法廷”からの報告】

日本の入管収容制度と入管法は恣意的な(思うがままの)拘禁を禁じた国際人権法(自由権規約)に違反している――1300日以上、入管施設に収容された2人の外国人男性が国を訴えた裁判の控訴審が結審した。1審は男性側が一部勝訴したが、原告と国の双方が控訴、2審の東京高裁はどう判断するのか。原告のイラン人男性が、その胸中を裁判官に訴えた法廷から報告する。(元TBSテレビ社会部長 神田和則)
収容の現実「心が壊れてしまった人たちの叫び声が…」
「収容の一番つらいところは、いつ終わるか分からないことです。1日、1日、人生が無駄になっていくと感じながら、先のことを何も考えられずに壁を眺めるだけの日々。入管の中では、毎晩、心が壊れてしまった人たちの叫び声やうめき声が響いていました」
6月5日、東京高裁824号法廷。原告のイラン人、サファリさんが中吉徹郎裁判長をはじめ3人の裁判官に訴えた。
この裁判は、強制退去処分となり入管施設に収容されたサファリさんら2人の外国人が起こした。
サファリさんはイランで反政府デモに参加したことなどから2回逮捕され、むち打ち刑を受けたこともあって出国を決意し、1991年に来日した。「迫害されて命の危険がある母国には帰れない」と難民申請をしてきたが認められず、オーバーステイになり収容された。
入管当局は、サファリさんのように非正規滞在となった場合でも、以前は一時的に収容を解く「仮放免」を弾力的に運用していた。サファリさんもいったんは仮放免になった。しかし、2016年頃から収容強化に転じ、東京五輪を控えた2018年には「送還の見込みが立たない者であっても、収容に耐え難い傷病者でない限り、原則、送還が可能となるまで収容を継続し送還に努める」とする「仮放免運用方針」を定めた。
これによって長期にわたり入管施設に収容される人が増えた。サファリさんの場合、2016年に再び収容された。
2019年、先が見えないことに絶望して抗議の意思を示すハンガーストライキが全国に広がった。同年6月には、長崎県の大村入国管理センターでナイジェリア人の男性が餓死する事態まで起きた。
法廷でのサファリさんの言葉を続ける。
「2019年6月、私はハンストを始めました。自分たちがゴミのように扱われている収容生活の中、こんなやり方はおかしいという気持ちを入管に伝えるためには、他にできることは何もなかったからです。食べないことのつらさは一番…(涙で声を詰まらせ)、もう二度と思い出したくない」
溺れている人に一瞬だけ空気を吸わせて水に沈ませる
こうした中、入管当局はハンストで体調を崩した人を2週間だけ仮放免して、再び期限を定めない収容に戻す対応を始めた。これは多くの人を苦しめ「水中で溺れている人に一瞬だけ空気を吸わせて、また水に沈ませる」と批判された。
サファリさんの2回目の入管収容は合計1357日に上り、その間に「2週間仮放免」が3回あった。次第に食べても吐くようになり、うつ病と診断された。
再びサファリさんの法廷発言に耳を傾けたい。
「2週間だけ仮放免されて、また無期限収容されることを3回繰り返されました。これはもう人間相手にできることではない。入管におもちゃのように扱われていると思いました。私はうつ病になりました。うつ病というのはとてもつらい。夜、眠れなくなりました。ずっと締め付けられているような気持ちになりました。いつも強い恐怖が頭から離れなくなりました。無意識に頭を壁に打ち付けたり、朝起きると、両方の腕に(言葉に詰まりながら…)傷が付いた跡がありました。手が真っ赤に腫れていました」
2019年10月、サファリさんらは国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会に「個人通報」を申し立て、極めて長期の収容と短期2週間の仮放免、再収容が恣意的に繰り返されていると訴えた。
作業部会は2020年9月、「2人に対する身体の自由のはく奪は『世界人権宣言』『自由権規約』に違反して恣意的である」と結論づける「意見」を公表した。この中で作業部会は「裁判所の審査なしに収容が認められ、理由も、期間も告げられていない。収容は、必要性を個別に評価したうえでの最終手段だが、代替手段を検討したこともない。事実上、日本の入管法は無期限収容を許すもので恣意的だ」と指摘した。
根拠となった「自由権規約」は第2次世界大戦中に起きた大量虐殺などの人権侵害や抑圧を教訓に、国連が1948年に採択した「世界人権宣言」を条約にしたものだ。日本は1979年に批准している。憲法で「日本国が締結した条約及び国際法規は、これを誠実に遵守することを必要」(98条)とし、国内法である入管法より上位に置かれる規範になる。
ところが、日本政府は異議を申し立てた。2人は2022年1月、東京地裁に提訴した。
「収容はフリーハンドではない」と主張を認めるも…
裁判の主な争点は3つあった。
(1)日本の入管収容制度・入管法が「自由権規約」(恣意的拘禁を禁止する、収容が適法かどうかの「司法審査」を裁判所で受ける権利を保障する)に違反するか
(2)2人の原告に対する収容が上記の規定に違反するか
(3)収容が違法とされた場合、国は賠償責任を負うか
2025年6月の東京地裁判決(本多智子裁判長)は、原告2人の収容の一部について違法と認め損害賠償を命じた。しかし、入管収容と入管法自体が国際法違反という訴えは退けた。
まず争点(1)について。
「自由権規約」が禁止する「恣意的拘禁」にあたるかどうかを判断する際には、「収容が正当な目的に基づく」(合理性)、「その目的を達成するには、収容が必要で、より負担の少ない他の措置では達成し得ない」(必要性)、「目的を達成する必要性が、個人の自由を剥奪する収容という措置の重大性を上回る(筆者注・目的に比べて、収容することが過剰な手段となってはならない)」(比例性)という3つの要件を考慮しなければならず、どれか一つでも欠けていれば「直ちに仮放免し、身柄を釈放すべき」という基準を初めて示した。
これは原告弁護団の「収容は入管のフリーハンドではない」という主張を認めたものだ。
しかし、入管収容制度と入管法自体は「自由権規約」に違反していないと判断した。
入管法は、退去強制令書の発付を受けた人は原則として収容される「原則収容主義」を採用しているが、「入管法の規定は全体として、退去強制手続きにおける収容が、個別具体的事情に照らし、送還のための出頭の確保と違法な在留活動の禁止という目的を達成するために必要な限度で、かつ、その目的を達成することが収容される人の不利益を上回る場合に限って収容している」と述べて、入管法は収容にあたって合理性、必要性、比例性の3つの要件を満たすことを要請しているので「自由権規約」には違反しないとした。
また、収容が適法かどうかの「司法審査」を裁判所で受ける権利の保障については、「行政訴訟法で仮放免許可を義務付ける訴えを起こすことによって、身柄の釈放を求めることができるから、裁判所の判断を受ける権利は保障されている」として、こちらも「自由権規約」には違反しないと判断した。
「うつ病になるまで収容は違法とされないのか」
これを踏まえて、争点(2)については2人の収容の一部に違法性を認めた。
サファリさんの場合、1、2回目の収容は「不法残留の状況などに照らして、収容の合理性、必要性は相当程度高いうえ比例性の要件を欠くとは言えない」とした。しかし、3、4回目は「当時の心身の状態はうつ病と診断される程度に悪化しており、収容の必要性がサファリさんの心身に与える不利益を上回る事情があるとは言えず、比例性の要件を欠く」と判断した。
そのうえで、争点(3)の賠償責任を検討。
「東京入管主任審査官は、職務上、少なくとも健康状態の悪化により収容に耐えられない状況にある者を収容してはならないという注意義務を負う」と前置きして、「収容に先立って原告らの心身の状態を適切に把握しないまま、仮放免期間が満了したとして漫然と退去強制令書を執行(収容)させた。職務上、通常尽くすべき注意義務を尽くさなかった過失があったと言わざるを得ない」と認め、国に対して慰謝料など60万円をそれぞれに支払うよう命じた。
サファリさんの代理人の駒井知会弁護士は、「サファリさんは長い間、きちんと出頭日時を守っていた。逃げるはずはなく収容の必要性はなかった。2週間の仮放免が終わる日は、ぶるぶる震えながら入管に出頭した。収容と『2週間仮放免』が繰り返されて心身共にぼろぼろになり、絶望して絶食するほど追い詰められ、うつ病になるまで違法とされないのか。3つの要件に対する裁判所の理解が非常に足りない」と批判した。
対立する原告側と国の主張 収容は“例外”か“原則”か
サファリさんらの弁護団は控訴審で次のように主張した。
▼身体の自由を制約する入管収容は、他の代替手段によっては目的が達成し得ない場合の例外的な最終手段として、最低限の期間のみ許されるべきである。
▼入管法が、収容について定期的な再評価と収容期間の上限に関する規定を欠くことは「自由権規約」に違反している。
▼2人の収容については、身体の自由の原則に従い、合理性、必要性、比例性を適切に評価して、3年を超える超長期収容と2週間の仮放免を挟んで繰り返された再収容が、「自由権規約」違反であることを明らかにし、賠償による救済を求める。
▼行政訴訟法で仮放免許可を義務付ける訴えを起こせても現実的な解放の手段としては機能せず、迅速な判断も求められていない。「自由権規約」の要件を満たさない。
一方、国側は次のように反論した。
▼1審判決は、逃亡や違法な在留活動の恐れがない者や送還の見込みがない者の収容は、恣意的拘禁の解釈に照らして許されず、「自由権規約」に違反すると解釈している。しかし、これは退去強制手続きにおいて原則収容主義を採用する、わが国の制度とは相いれない独自の見解で、入管実務に重大な影響を与え、制度自体を揺るがすものだ。
▼仮放免は、特別の事情がある場合に例外的に認められる措置で、判断については収容所長等に広範な裁量が与えられている。違法となるのは、判断がまったく事実の基礎を欠き、または社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合など、裁量権を逸脱し、または乱用したと認められる場合に限られる。
▼サファリ氏らは、収容の必要性が高かったことが明らかで、十分な診療体制が整った収容施設内で適切な治療も受けており、収容には相当性があった。
裁判官は「国際人権法を守る義務を負った当事者」
国際人権法の専門家で明治学院大の阿部浩己教授は、判決をどう見たのか。
「『自由権規約』に則して言うと、原則は“身体の自由”でなければならないので、本来は“身体の自由”が原則としてあって、例外的に“収容”できるかどうかを『厳密にチェックする判断基準』として合理性、必要性、比例性の3要件を当てはめなければならない。ところが判決は、入管の『原則収容主義』を前提として認めたので、“収容”が原則になり、“身体の自由”が例外に逆転してしまった。このため3つの要件は、原則として収容する中で例外的に解放できるかどうかを判断する『緩やかな基準』にすり替わった」
また、「司法審査」についてはカナダでの研究経験も踏まえて次のように語る。
「『自由権規約』は収容された場合の定期的な審査を求めていて無期限収容は認めない。カナダの場合、収容されたら直ちに独立した機関である『移民難民庁』が3つの要件に従って適法性を審査し、その後も30日ごとに確認する。求められているのはそういうチェック体制の確立だ。日本の仮放免義務付けの訴えは認められるのが極めて難しく、それをもって『司法審査』の権利が保障されているとはとても言えない」
そのうえで阿部教授は「この裁判で問われているのは、裁判官が国際人権法をどう認識しているかだ」と強調する。
「国際人権法は各国に順守を義務付けている。各国とは具体的には国家機関であり、その中には裁判所も含まれる。裁判官は、原告と被告双方の言い分を聞いて判断を下す裁定者だが、他方で国際人権法を守る義務を負った当事者でもある。問われているのは、判決を通して映し出される裁判官の自己認識だ」
もう一度、法廷に戻りたい。当初、用意した文書を読み上げていたサファリさんだったが、途中から原稿を離れて正面の裁判官を見据えた。
「すいません。自分の気持ちを伝えたい。私たちが入管に対して裁判をするのは一番怖い。勇気を持っていないと裁判はできない。ぜひ裁判官にわかってほしい。私たちも人間です。人権がある。ここまで助けていただいたのは応援の人、弁護士さんたち。ここからは、私たちを助けられるのは裁判官。日本が好きで、35年以上日本にいて、お母さんも亡くなってお墓に参りたいが、帰ったら危ないから帰れない。裁判官の皆さんにわかってもらいたい。私たちみたいにつらい目、大変な目に遭っていても入管は怖いので裁判ができない(人たちもいる)。みんなのためになるように(人間として)平等であるという判決をお願いしたい」
東京高裁の裁判官は、国際人権条約にどう向き合うのだろうか。判決は9月30日に言い渡される。
【自由権規約】
第9条1項「すべての者は、身体の自由及び安全についての権利を有する。何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない」
第9条4項「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する」
また第5項では、違法な身体拘束は賠償を受ける権利があると定めている。
<“知られざる法廷”からの報告>
裁判所では連日、数多くの法廷が開かれている。その中には、これからの社会のあり方を問う裁判があるが、人知れず終結することも少なくない。“知られざる法廷”を掘り起こして報告していきたい。