トウモロコシ20キロの代わりに結婚 敗戦後の旧満州に取り残された「中国残留婦人」“自らの意志で残った”とされ、遅れる支援
46年帰国できなかった「中国残留婦人」 97歳女性の証言
NO WARプロジェクト「つなぐ、つながる」です。終戦後、中国東北部・旧満州から46年もの間、帰国することができなかった日本人がいます。「中国残留婦人」と呼ばれた女性の証言です。
【写真で見る】「トウモロコシ20キロと取り替えてくれ」97歳の“中国残留婦人”の証言
長野県にある満蒙開拓平和記念館。パネルに「残留婦人」とあります。日本の傀儡国家「満州国」が敗戦で解体され、中国に取り残された日本人女性のことです。
終戦時16歳だった佐藤千代さん(97)も「中国残留婦人」の一人。満州に取り残され、ソ連軍から逃げるうちに母と祖父を亡くします。
食べる物もなく飢えに苦しむ中で、ある中国人男性が千代さんの兄に、こう持ちかけてきました。
「トウモロコシ20キロと千代さんを取り替えてくれ」
「この身体を犠牲にしたの」貧しく、働きづめの結婚生活
当時、中国東北部では、結婚できない貧しい男性が食料などと引き換えに、困窮する日本人女性を妻にすることがよくあったのです。
佐藤千代さん
「私が死ぬ思いをして嫁に行かなかったら、一家を誰が養うの。(兄たちに)食べさせてやるために、この身体を犠牲にしたの」
子どもはできましたが、貧しく、働きづめの結婚生活でした。
佐藤千代さん
「(家には)なんにもない、あの時なんにもないの。(食べ物を)どこかから借りて、どこかから盗んで、そういうふうに暮らして」
「自らの意思で残った」届かない残留婦人たちへの支援
「日本に帰りたい」。しかし、1953年の「集団引き揚げ」では、当時の国籍法により「中国人男性との間にできた子どもは連れて帰れない」と言われ、あきらめました。
佐藤千代さん
「子どもを捨てろっていうんだよ。子ども殺してから帰るなんて、そんな親がいるかい」
その後、日本政府は終戦当時12歳以下の「中国残留孤児」については、肉親捜しなど、支援をはじめます。
一方、13歳以上だった「残留婦人」たちは肉親捜しの対象外とされるなど、支援は限定的でした。「自らの意思で中国に残った」とされたのです。
「返す言葉もなかった、黙ってた」若い世代へ求めるのは“平和”
千代さんには日本に肉親がいましたが、中国で生活基盤ができていて、永住帰国は1991年になってからでした。
佐藤千代さん
「『あんたが好きで残った。満州へ行った。お嫁になりたかったんでしょ』と言われた時、返す言葉もなかった、黙ってた。戦争にならないように、若い人たちには頭を使って、どうにかして平和に暮らしてもらいたいね」