狭い範囲で自分が一番だと誇ることを「お山の大将」と言います。
転じて、特定の組織の中で威張っているような人のことも「お山の大将」と呼ぶことがあります。
しかし、この言葉はどこから来た言葉なのでしょうか?
今回はそれら「お山の大将」という言葉について解説します。
なお、ここではどのようなことわざなのかはもちろん成り立ちや類義語についても説明します。
「お山の大将」とは
まずは「お山の大将」がどのような言葉なのか見てみましょう。
「お山の大将」の意味
「お山の大将」とは狭い範囲で自分が一番だと誇っていることを言ったことわざです。
これらは組織の中で起こりやすい現象と言えるかもしれません。
例えば、特定のクラスやグループなどで起こることが多いです。
それら小さな組織では必ずリーダーとならんとする者が現れます。
そして、力を得た者は自分とは違う立場の者に対して排他的になっていきます。
その結果、周囲に持ち上げられる形で1人で得意げになってしまうわけです。
その状態のことを「お山の大将」と表現します。
要は小さな山で偉ぶっていることを言う言葉です。
「お山の大将」と言われてしまうのはこんな人
「お山の大将」は特定の集団の中で自分を誇ることを言います。
特に威張ったり自慢したりする人を言う言葉となっています。
それらプライドが無駄に高い人ほど「お山の大将」と言われてしまうことが多いでしょう。
実際にプライドが高い人は自分の立場を守るため、他者を排除しようとする傾向にあります。
その反面、周囲を常に警戒しているために常にビクビクしてしまっているのです。
そして、いざリーダーシップが求められる状況になると臆してしまうことも多いです。
それら自意識だけは過剰でありながら小心者である人を「お山の大将」と呼ぶことが多いかもしれません。
事実、単に大した功績でもないのにふんぞり返っている人を意味することもあります。
「お山の大将」という遊びもある
実は「お山の大将」という子供の遊びもあります。
ここではそれらの遊びについても見ておきましょう。
子供の遊びとしての「お山の大将」
「お山の大将」は子供の遊びでもあります。
ルールは高台などに数人が競争しながら登り、先頭の者が後から来る者を突き落として「お山の大将俺一人」と言うだけです。
古くはこれら遊びとしての「お山の大将」が親しまれていました。
しかし、その様子から昨今のような言葉が生まれたとされています。
言葉の由来はこの遊びから
「お山の大将」は同名の子供の遊びから来た言葉です。
中でも、山の上に立ち「お山の大将俺一人」と叫ぶ姿が限られた範囲で威張る人と重なるところから生まれた言葉と言えます。
転じて、狭い範囲にもかかわらず自分が一番だと誇っている様子を「お山の大将」と表現するようになったそうです。
「お山の大将」の類義語
最後に「お山の大将」の類義語も見ておきましょう。
「お山の大将」の類語後には「内弁慶」や「井の中の蛙」「張子の虎」などがあります。
内弁慶
「内弁慶」とは家の中でばかり強がって外では意気地のないことです。
主に「内弁慶」は家庭内と他で真逆の態度を取ることを言います。
中では態度が大きいのに、外では態度が小さいようなことを言う言葉です。
それら状況によって態度を変えるという点が「お山の大将」と重なるのではないでしょうか。
井の中の蛙
「井の中の蛙」とは狭い世界に囚われて物事を大局的に判断できないことです。
小さな井戸の中にいる蛙は大きな海原のことなど知る由もありません。
井戸の中にいるだけで威張っていても意味がありません。
それら世界の広さを知らないという点が「お山の大将」に通じます。
張子の虎
「張子の虎」とは虚勢を張ったり見掛け倒しだったりすることです。
これは虎の形をした首の動く張り子のおもちゃのことを言います。
そのおもちゃは迫力も何もあったものではありません。
それらはったりばかりという点が「お山の大将」と似ています。
まとめ
「お山の大将」はある特定の範囲で一番になっていることを誇っている状況を言います。
もしくは限られたチームなどで威張っている人のことも言います。
要は大して誇らしいことはしていないのに、狭い範囲で一番になったからと誇っている人を言うのです。
これらはあまり良い意味では使用されません。
むしろ悪い意味で使用されることが多いので、言う方も言われる方も注意したいです。