人の良い噂はなかなか広まらないものですが、悪い噂というのは一瞬で広まります。
そんな状態を表現した言葉に「悪事千里を走る」があります。
文字通り悪い行いは、千里先まですぐ知れ渡るということをあらわしています。
ここでは、この「悪事千里を走る」の意味はもちろん、由来や類義語についても併せて解説します。
「悪事千里を走る」とは
まずは「悪事千里を走る」の意味について見ていきましょう。
「悪事千里を走る」の意味
「悪事千里を走る」は、悪い行いについての情報は瞬く間に世間に知れ渡ることの例えです。
悪いことは話題となりやすく、人々の口に乗り遠く離れている場所まで、あっというまに広まってしまいます。
そのような状態を的確に表現したのが「悪事千里を走る」という言葉です。
悪事を働いてはいけないという教訓としても用いられます。
また、「悪事千里を行く」「悪事千里を伝う」と表現されることもあります。
この意味合いで使うのは間違い
「悪事千里を走る」は、悪事の行い方はすぐ伝播するので被害が拡大していくという意味ではありません。
マルチ商法や振り込め詐欺の方法が悪徳業者の中で広まることを指して「悪事千里を走る」とは表現しません。
広がっていくのは、あくまでも悪い評判などなのです。
「悪事千里を走る」の由来
この「悪事千里を走る」は、中国で生まれた言葉とされます。
ここからは「悪事千里を走る」の由来について見ていきましょう。
「北夢瑣言」の一節から
「悪事千里を走る」は、もともと中国の古いことわざです。
「北夢瑣言」という書籍の一節に登場したのが始まりとされています。
北夢瑣言の中には、「好事門を出でず、悪事千里を行く」という一文があります。
良い行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪い行いはあっという間に世間に知れ渡ってしまう、という意味の文になっています。
前半の「好事門を出でず」が良いことが広まらないことをあらわしています。
つまり、「好事門を出でず」は「悪事千里を走る」の対義語となっているのです。
「北夢瑣言」とは
「北夢瑣言」は、孫光憲が唐末から五代十国の時代にかけての著名人の逸話を集めた書籍のことです。
著者である孫光憲は、五代十国時代の文学者です。
彼は五代十国の王朝のひとつ後唐で、荊南節度副使という役職を務めた人物でもあります。
五代十国の時代が終わり宋の時代になると、宋に仕えて黄州刺史という官職に就いています。
「北夢瑣言」などを著述していますが、自身も漢詩などを詠む詩人でもあり、当時の詩歌をあつめた「花間集」にもその名前が載っています。
「悪事千里を走る」の類義語
「悪事千里を走る」には、いくつか類義語があります。
ここでは、「人の口に戸は立てられぬ」や「隠すより現る」という言葉をあげてご紹介します。
人の口に戸は立てられぬ
「人の口に戸は立てられぬ」とは、世間の人が噂するのはどうにも止めようがないことの例えです。
このことわざの「立てる」は、戸を閉めることを意味します。
つまり、家の戸なら閉められるが、人の口というのは戸を閉めるように閉ざすことはできない事をあらわしています。
噂が世間に広がっていくのはどうしようもできない、ということを伝える際に用いられます。
隠すより現る
「隠すより現る」とは、隠そうとすればするほどかえって人に知れやすいことを意味します。
人は隠そうとする物事ほど、不思議なことにボロが出てしまいバレてしまいます。
「隠すより現る」は、そんな状況を表現しています。
実際、内緒にしたくて隠そうとした物事ほど目立ってしまい、かえってバレやすくなってしまうことって多いですよね!
これは、嘘をついた人が嘘を隠そうとして嘘を重ねる状況に近いです。
嘘をつけばつくほど整合性が取れなくなり、結果ボロが出ます。
その状況をうまく表現したのが「隠すより現る」なのです。
まとめ
悪い噂はすぐ広まってしまうことを意味する「悪事千里を走る」。
その由来は、五代十国時代の中国で活躍した文学者が編纂した逸話集から来ています。
そこには、良い行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪い行いはあっという間に世間に知れ渡ってしまうという意味で「好事門を出でず、悪事千里を行く」という一文があります。
この一文の後半から生まれた言葉となっています。
類義語としては、「人の口に戸は立てられぬ」や「隠すより現る」などがあげられます。
対義語のひとつには、「悪事千里を走る」の元となった言葉にも出てくる「好事門を出でず」があります。