誰もが一度は通り、大人になると思い出の対象にもなる「青春」。
青春が終わってしまったら後は大人として普通の人生を歩むだけ・・・と思われているかもしれませんが、青春の後にはまた、別の季節がやってくるって知ってましたか?
意外と知らない「青春」という言葉の成り立ち。
そして、青春の後にやってくると言われる「朱夏」についてここでは解説します。
「朱夏」とは
まず最初に、「朱夏」のという言葉について見ていきましょう。
「朱夏」は夏のこと
朱夏はもともと、「夏」を意味する言葉でした。
日本にも伝わってきた、中国で古くから親しまれている「陰陽五行思想」では、春夏秋冬のすべてに色が配置されているとされています。
そして、夏には「朱」が当てはめられていたことから「朱夏」という言葉が生まれました。
由来となった陰陽五行説とは
「陰陽五行説(陰陽五行思想)」は、春秋戦国時代ごろから中国で用いられるようになったとされる宇宙や世界、人体などの仕組みを説明するための考え方です。
「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」というのを、小説や映画マンガなどで一度は見聞きしたことがあるかもしれません。
この考えもまた、陰陽五行説によるものです。
そしてこの陰陽五行思想の中では、春は「青春(せいしゅん)」、夏は「朱夏(しゅか)」、秋は「白秋(はくしゅう)」、冬は「玄冬(げんとう)」とされていました。
春は青、夏には赤を、秋に白を、冬が黒とそれぞれ色が当てはめられたのです。
4月の別名とされたこともあった
「朱夏」という言い回しを、室町末期の日本では「首夏」と混同されていました。
この「首夏」とは陰暦4月の類語であり、夏の始まりを指す言葉です。
そのことから、当時は「朱夏」もまた4月の意味で使われていました。
人生を季節に例えられた「青春」や「朱夏」
陰陽五行説では、人の人生を春夏秋冬の季節に喩えました。
そのため、「青春」や「朱夏」にも当てはまる年代があるという事になります。
「青春」とされる時期
青春は、少年から青年期を言い表す言葉です。
若さが溢れる、これからの未来に希望を持って成長しつづける時期です。
具体的な年代としての厳密な定義はなく、孔子の『論語』では「学を志す」時期とされているため、10代から30歳ぐらいまでとされる場合も多いようです。
「朱夏」と言いあらわされる頃
朱夏は、青春より少し成長した成年期です。
仕事などでも活躍し、バイタリティあふれる現役世代を指す言葉です。
具体的な年代としては30代前半から50代前半当たりです。
「白秋」と呼ばれる年代
朱夏の後にやってくる「白秋」は、より年齢を重ねた時期を指します。
穏やかで落ち着いた人格に成長し、人生の実りを楽しむ時期です。
具体的な年代としては50代~60代前半頃とされます。
「玄冬」と呼ばれる年代
人生の終盤ともいえる時期をあらわすのが「玄冬」です。
60代後半以降の老年期の事とされます。
また、逆に子供時代を指すといわれる事もあります。
子供の頃はまだ人として芽吹く前の時期なので、冬になぞらえるとするのだとか。
青春が若者を指すようになったのは明治時代になってから
人の人生を春夏秋冬に見立てた言い方のひとつだった「青春」。
これが「青春」ひとつだけ有名になって、若者の時代のことを指すようになったのは明治時代になってからのことです。
明治時代に流行った「青春小説」
明治時代の後半に、「青春小説」のブームがありました。
それは日露戦争が終わった頃の事。
国家に身を捧げるのではなく、自分の人生を自分で考える若者が増えてきました。
それに合わせて、そんな若者たちを描いた作品が増えていったのです。
代表的な作品として島崎藤村の「初恋」、森鴎外の「青年」などがあげられます。
青春を流行らせたのは夏目漱石?
この青春小説の中でも突出して人気だったのが夏目漱石の『三四郎』。
この作品の中で漱石は、「三四郎は切実の生死の問題を考えたことの無い男である。考えるには青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどの火が燃えている。」という一文で、主人公の三四郎の若さを表現しています。
この「青春の血が、あまりに暖かすぎる」という言い回しから、「青春」という言葉が定着したともされています。
まとめ
「青春」という言葉は、古代中国の陰陽五行説からきた「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という言葉のうちのひとつ。
意外とその期間が長く、30歳ぐらいまでは含められるようです。
そんな青春が終わった後も「朱夏」がやってきて、青春よりも少し成長したバイタリティあふれる年代とされるのだそうです。
「青春はもう終わった・・・」なんて思ってしまう大人も多いかも知れませんが、「朱夏」が来ると思うとちょっと素敵な気分になりませんか?