![東日本大震災で被災した富田望生さん「無理して周囲になじむ必要はない」能登半島地震で避難を余儀なくされている子どもたちに伝えたいこと #知り続ける](/assets/out/images/jnn/1045237.jpg)
「ソロモンの偽証」で映画デビューし、今年は「ブギウギ」の小林小夜役を演じた俳優の富田望生さん。実は13年前の東日本大震災で被災し、故郷・福島から避難した経験がある。
元日に起きた能登半島地震で、多くの子どもたちが能登を離れ避難生活を送る中、11歳で故郷を離れた富田さんが、子どもたちに伝えたいこととは・・・
(TBS/JNN「Nスタ つなぐ、つながるSP〜いのち〜」蓮井啓介)
原発事故…周囲の大人が「終わった」とつぶやいた
福島県いわき市出身の富田さん。東日本大震災の発生当時は11歳、小学5年生だったが、今でもあの時のことを鮮明に覚えている。
富田望生さん
「小学校にいたときに地震が起きました。もぐりこんだ机の下から放り出されてもおかしくないというか、割れた窓から放り出されてもおかしくないような感覚でした」
富田さんを含めて、家族は全員無事だった。しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故が富田さんの生活を一変させた。
福島第一原発から富田さんが住んでいたいわき市までは40kmあまり。周囲の大人たちが、原発事故の直後に「終わった」と呟いていたことが印象に残っていると言う。その後、原発がどうなるか分からないという状況で、富田さんは、家族でいわきを離れ、東京に避難することになった。
富田望生さん
「母は最初『いわきを出ない』という意志だったんですが、子どものことを考えた判断だったと思います。私はいわきを離れる時には暴れましたね。母に叱られました」
母親の苦渋の選択ー
移り住んだ東京には人がたくさんいて、夜中でも煌々と街明かりがついていた。
転校した小学校では、寂しい思いもした。
富田望生さん
「福島に帰りたい思いが強くて、なんで東京にいるんだろうという気持ちでした。東京の友達とは、福島の友達とのような関係が、なかなか築けませんでした。なじまないといけないと思っても、なかなかなじめなくて・・・」
さらに、大好きだったピアノも弾けなくなった。富田さんはいわきにいる頃、「将来はピアノの先生になりたい」という夢を持っていた。鍵盤を触るのが好きで、祖父母の家にあるピアノをいつも弾いていた。しかし、東京にピアノを持ってくることはできず、レッスンに通っていたピアノの先生とも離れ離れになった。
落ちこんでいた富田さんを変えたのは、東京に来て見つけた俳優への道だった。週1回のレッスンに通うだけで心が晴れた。
富田望生さん
「中学3年生の時にデビュー作が決まって、私の道はこれなんだな、こういう人付き合いをしていきたいんだなと思えたんです。無理して周りになじむ必要はなくて、自分らしくいればいいんだと気付きました」
そこは、富田さんが見つけた自分の居場所だった。その後、俳優としてだけではなく、バラエティや情報番組への出演、「東日本大震災13年 Nスタ つなぐ、つながるSP」など報道番組でナレーターを務めるなど、活動の幅を広げてきた。
避難している子どもたちへ「この先の出会いはたくさんある」
能登半島地震で、避難を余儀なくされている子どもたちに、伝えたいことがある。
富田望生さん
「能登半島地震で被災した子どもたちの気持ちを本当に理解することはできないし、みんなそれぞれ感じ方は違うと思います。でも、これまでの日常が一変してしまって、新たな環境になじめないでいる辛さは少し分かるかもしれません。私は、無理して周囲になじむ必要はないと思っています。なじむことで、何かを失った気持ちになることもあると思うんです。忘れないでほしいのは、この先、いろんな出会いが必ずあるということです。その出会いをきっかけに、きっと好きなことは見つかると思うので、好きなことをキャッチするセンサーみたいなものを大切にしてほしいな」