いよいよ熱戦の幕が上がったパリオリンピック™。しかし華やかな祭典の影で、戦火はいまだ、やむことがありません。
「ウクライナの勝利を世界に」戦争を乗り越えハンマー投げでパリオリンピックへ
なお続く2つの戦争 パレスチナ選手団が五輪にかける思い
7月26日、パリオリンピックの開会式に参加したパレスチナ選手団。競泳や柔道などの競技に8人が参加します。
ガザでの戦闘開始以降、300人を超える選手やコーチなどが犠牲になったというパレスチナ。競泳男子のヤザン選手は、こう語ります。
パレスチナ代表 ヤザン・アルバワブ選手
「私たちが人間であり、パレスチナ人であることを世界に示したいのです。メダルが取れようが、取れまいが」
今回のパリ大会では、各地で続く戦争が暗い影を落としています。
ガザで親戚を失った競泳女子のタラジ選手は食糧危機が続くガザで、海に投下された支援物資を取りにいこうとして、多くの市民が溺死した出来事を振り返り、こう話します。
パレスチナ代表 バレリー・タラジ選手
「大勢の人が溺れているのを見て本当にショックだった。ガザの子どもたちに水泳を教えようとしていた矢先だったのに…」
戦争が生み出すスポーツでの“分断” ロシアは別の大会を計画
オリンピック憲章は、スポーツによる平和な社会の推進という理念を掲げます。しかし、その実現の難しさを物語る出来事が相次いでいます。
2023年に開かれたフェンシングの世界選手権。試合後、ウクライナの選手は相手のロシア選手との握手を拒否し、失格に。
また今回のオリンピックでは、ロシアと、同盟国ベラルーシに対し、IOC=国際オリンピック委員会は「ウクライナ侵攻を支持しない」などの条件を設け、個人としての参加のみ認めました。
これに、ロシアのプーチン大統領は反発。
プーチン大統領
「このような行動を取るなら五輪ムーブメントは葬り去られる」
そしてロシアはいま、オリンピックとは別のスポーツの国際大会「フレンドシップ・ゲームズ」を計画中。
フレンドシップ・ゲームズの公式HP
「私たちは勝利への強い願望で結ばれています」
オリンピックを上回る35競技が実施されると主張しています。
“五輪休戦”の開始もその実効性は
掲げる理想とは裏腹に、世界の分断を色濃く映し出すオリンピック。しかし、かつての古代オリンピックは、戦争状態にある都市国家が「休戦協定」を結んで開かれたと伝えられます。
その精神を受け継いだ近代オリンピックもまた、大会中、紛争地域での停戦、いわゆる「オリンピック休戦」を訴えるようになりました。
IOCが「休戦」を初めて訴えたのは、1992年のバルセロナ大会。当時、旧ユーゴスラビアは内戦状態にあり、国連は制裁措置として、スポーツ選手の国際的な大会への出場などを禁じていました。
これに対し、IOCは大会期間中の「オリンピック休戦」を提唱し、旧ユーゴの選手の大会参加を実現させたのです。
このときの状況を、オリンピックの理念や歴史に詳しい來田教授は、こう話します。
中京大学 スポーツ科学部 來田享子 教授
「『世界の人々に平和を求めるようなアピールを、IOCから発してはどうだろうか』と。国際政治からオリンピックは独立したいというIOCの思いがあった」
翌1993年には、国連もIOCと歩調を合わせ、総会で「休戦決議」を採択。以後、オリンピック開催のたびに、大会期間中と前後7日間の休戦を国際社会に求める決議を行うようになります。
しかし、現実はこうした決議を無視する形で、大会期間中も戦火がやむことはありませんでした。
迎えた今回のパリ大会でも、国連では「休戦決議」が採択。7月26日の開会式でも、ピアノが炎に包まれる演出のなか、平和を希求する曲「イマジン」が演奏され、橋には平和の象徴・ハトのイルミネーションが…。
2つの戦争だけではない紛争地からの五輪選手
こうした平和への呼びかけにも関わらず、やむことのない戦火。それでも、平和への思いを胸に大会に臨む選手がいます。
度重なる内戦を経て、いまなお武力衝突が続く南スーダンから、男子800メートルに出場するアブラハム選手。
人口の半数以上が今年、危機的レベルの飢餓に陥るとされるなど、深刻な人道危機に直面しています。
南スーダン代表 グエム・アブラハム選手
「(多くの選手は)お金がないので靴を買うことができません。裸足で走り、硬い石を踏みつけ、血が出ています…」
内戦で国民同士が争いを続けるなか、今回オリンピックに出場する思いを、こう語ります。
南スーダン代表 グエム・アブラハム選手
「私が走ることで、(内戦下の)国民が一つにまとまれると信じています。少しでも国が平和になる手助けになればいいと願っています」
平和の祭典・オリンピック。その意義がパリ大会でも問われています。
(「サンデーモーニング」2024年7月28日放送より)