![「悲劇で終わり…は悔しい」東北で家族を亡くした少年が能登へ 高校生に語ったこと「ぼくも言えなかったことがある」【つなぐ、つながる】](/assets/out/images/jnn/1044990.jpg)
能登への支援に尽力する釜石市出身の大学生
今年の元日。能登半島を大きな地震が襲った。
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東日本大震災から13年後の、大規模な津波被害。都内の倉庫では、子どもたちに支援物資を届ける準備が行われていた。
古川真愛(まなと)さん。岩手県釜石市出身の大学生。東日本大震災の津波を経験した。
古川真愛さん
「本当に何でもいいからやらせてくださいという、出来ることがあるなら。衝動的な部分はあったんでしょうけど」
古川さんは、小学2年生のとき、母と6歳の弟、3歳の妹を津波で亡くした。自宅ごと流されたとみられているが、詳しいことは分かっていない。
古川さん
「まさか死んでるとは思わなかったので。ただただ泣いていたような…記憶があります」
「骨(遺骨)なんだっていう。骨…その衝撃がすごい頭に焼き付いていますね。もう絶対戻ってこないんだなっていう」
「カタリバ」との出会い 津波からの迅速な避難を促す研究
好きな野球をしている間だけは、震災のことを忘れられた。高校は県外の強豪校に進んだ。だがうまくなじめず、地元に戻ってきた。
そして古川さんは、かけがえのない出会いを果たす。
被災地で教育支援を行なう「カタリバ」という団体。そのスタッフの指導で、古川さんはある研究をはじめた。
海岸でドローンを飛ばしたり、住民に話を聞いたりして、津波からの迅速な避難を促す呼びかけの方法を考案した。
古川さん
「『非常に』ってあるじゃないですか。『非常に』って具体性にかける表現なんです。曖昧で…」
古川さんの研究は評価され、東京の大学に進学。そんな中、能登で地震が起きたのだ。
今度は自分が、被災地の子ども達を支援する「カタリバ」のスタッフになった。
自らの体験と思いを高校生たちへ
先月、古川さんの姿は能登にあった。
古川さん
「とたんがきしめく音、瓦礫が風でこすれる音は、東日本のあとにも同じような音を聞いた記憶があります」
古川さんは現地の高校へ。被災した高校生たちの参考になればと、自らの体験を語る。
「僕の被害はちょっと重たい話になるんですけど、まず家が全壊しました。津波でお母さんと兄弟、弟と妹が流されて亡くなってしまいました」
そして、野球や研究に打ち込んだ経験から、呼びかけたこと。
古川さん
「伝えたいと思うのは、好きなこととか、やりたいこととか、夢とかを、どうしてもこの状況になるとあきらめがち」
「でもむしろ、好きなものに対して取り組んでいくエネルギーとか、好きなものに突き進んでいくっていうものが、災害とか急に起こった悲劇に対して、すごい特効薬じゃないけど、ものすごい力を発揮してくれるものだと思ってます。なので、やりたいことがあったら、あきらめないでほしい」
高校生たちが、悩みを打ち明ける。
高校生
「いまこここういう状況なんで、まあ金沢行くか行かんかみたいな」
古川さん
「迷うよねやっぱり。でもなんか行きたいと思ったら行ってほしいなって個人的には思うかな。震災を経験した身として。それこそ僕もいっぱい言えなかったことがあるから、これやりたいあれやりたいって。それはやっぱ今でも思い出すんだよね。あれ何で言えなかったんだろうみたいな」
吹奏楽部員
「今年最後の部活なんで、力入れていくぞと思ってたところに、震災が来ちゃって…。練習する場所がないから、今話してるのは友達と外で一緒に自主練から始めようよって」
彼女がカードに書いた言葉。「強く生きる」。
古川さんの思いを、高校生たちは、確かに受け取った。
古川さん
「震災受けて、悲劇があって、それで終わりました。なんてことになるのは、なんか悔しいような気もするし。悲劇に対して想いを馳せたり、行動できる人間ではあれればいいなと思っているので」