![刺青がTATTOOになった頃(1980年代前半)【TBSアーカイブ秘録】](/assets/out/images/jnn/1085258.jpg)
「刺青(いれずみ)」というものが、この数十年というもの、次第にカジュアルになったのはご存じの通りです。「TATTOO」と呼ばれるようになり、以前のような「アウトロー」みたいなテイストはやや薄れました。その変化の境界はどのあたりにあったのでしょう。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
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江戸期の刺青から振り返ると
かつての刺青(入れ墨)には「イキな」「いなせな」という意味合いがありました。特に江戸時代の飛脚や火消しなどは、むしろ刺青がない方が恥とされたそうです。「遠山の金さん」の桜吹雪などもその例のひとつですね。
しかし、その後は入れ墨といえば暴力団関係者を色濃く想起させるもの…というのが正直なところだったのではないでしょうか。
今はどうでしょう。「アウトロー」なテイストは残っていますが、印象はずいぶんカジュアル化しました。その変化のキッカケは、どうやら80年代初頭の若者ファッションにあったようです。
竹下通りで小さなTATTOOを
TBSのアーカイブを捜索すると、最初に「ファッション感覚で刺青」という形でTATTOOが登場するのは、1982年のことです。当時、全国の若者のあこがれだった「竹下通り(原宿)」を歩く若い女性たちの間で、刺青型の「シール」を貼るのが流行り、そのなかに、小さく本物を彫る子があらわれたというのです。
ピアス型のTATTOO
なかでも流行ったのが、ピアス型のTATTOOでした。
見ると、バラなどの花や、小さな葉っぱなどが定番で、今から考えるとおとなしいと思えるかもしれません。全身に入れるハードな刺青には、さすがに抵抗があったのでしょう。
しかし、技術の向上などにより「痛い」というイメージも低下して、80年代あたりから、次第にTATTOOのハードルが低くなっていったのは確かなようです。
ロサンゼルスの例
同じ頃、米国ロサンゼルスでも、TATTOOは大人気を博していました。
もともとヒッピー文化という側面が強く、「アウトローが彫る」というイメージは日本に較べると薄かったといいます。映像素材には「指輪やネックレスのようなファッション」として若い女性が入れている様子が写っています。画像のツバメのような鳥が、ワンポイントで約1万円。値段も非常にカジュアルです。
中には日本風のデザイン、いわゆる「和彫り」を選ぶ人もいて、ジャパニーズスタイルはカラフルでエキゾチック、美しいという評判がある一方、その分かなり高価でもあったようです。
ロンドンの例
90年代に入ると、TATTOOファッションはもっと過激な形でロンドンに花開きます。
TATTOOとピアスのコンビネーションで「悪魔的」な雰囲気を醸し出しました。メイクもこの時期のロックバンド風です。
この画像は94年取材のものですが、この時期の英国では、景気悪化と高まる失業率に対して「政府にプロテスト(抗議・反抗)する」という裏テーマがあったのだといいます。
悪魔的テイストには、現在に通じる部分が少しありますね。
基本は「一生消えない」
しかし、刺青であろうがTATTOOであろうが、どんなにカジュアルになったとしても「消えないファッション」であることに変わりはありません。
以前より「消し方」も進歩したとはいうものの、痕は残ります。専門の美容外科医師に言わせると「もとの玉の肌には決して戻りません」ということです。
また刺青除去にはかなりの苦痛がともなう上、健康保険もききません。くわえて否定的なイメージは社会において払拭されず、公衆浴場やサウナなどで入場を断られることも多いです。カジュアルに考えすぎて、後で後悔することも多いようです。