パリ五輪陸上競技7日目の8月7日、男子3000m障害で東京五輪7位の三浦龍司(22、SUBARU)が8位(8分11秒72)と、2大会連続入賞の快挙を成し遂げた。3000m障害のことを「天職」と言うほど、三浦はこの種目を得意とし、こだわりをもって取り組んでいる。パリでも三浦の特徴をしっかり発揮することで、陸上競技のトラック個人種目初の2大会連続入賞を達成した。レース翌日に、順大時代から三浦を指導する長門俊介コーチ(順大駅伝監督)に、三浦が大舞台で力を発揮できた理由を聞いた。
転倒する選手が2人も出た激しい展開
1000m通過が2分39秒5と先頭はハイペースで入ったが、2000mまでの1000mは約10秒ペースが落ち、集団が大混雑する状況でレースは進んだ。世界記録保持者のL.ギルマ(23、エチオピア)ら2人が転倒したことからもわかるように、1周で障害4台と水濠を1つ跳び越えていく3000m障害は、転倒の可能性が他種目に比べ大きい。だが三浦はその状況でも落ち着いたレース運びをした。最後の周回に入る時点では12番手だったが、ラストの1周で4人を抜いて8位(8分11秒72)に入賞した。
長門コーチはレースの感想を次のように話す。
「東京五輪の頃より世界のレベルが上がっていますし、雰囲気もあのときとはまるっきり違いました。“ホンモノ”のオリンピック・レースでしたね。順位は東京五輪(7位)と昨年の世界陸上(6位)の方が上なので、悔しさもあると思いますが、日本人ではなかなか対応できない展開にもかかわらず入賞ラインまで行けたわけです。そこは彼にしかできないことだと思います」
激しい展開だったことを物語るエピソードがある。最後の周回で障害を跳び越えて着地したとき、三浦が少しよろけてしまった。さすがの三浦も脚に来たのだろうと思ったが、「逆脚で跳んだと、三浦が言っていました」と長門コーチ。普段は利き脚で確実に跳んできていたが、そんな三浦が逆脚で合わせないといけないくらいハードルの位置を確認しづらいレースだった。
「それだけ出入りが激しく、ポジションを取るのが難しかったのかもしれません」
選手の出入りが激しいレースでは、実際のスピード以上に消耗度は大きい。対応力の良し悪しが、記録に大きく影響する。
今季導入しているトレーニングとは?
三浦がここまで3000m障害に対応できるのは、日本のトップレベルに成長した順大でのトレーニングが一番の要因だろう。1972年ミュンヘン五輪の小山隆治、04年アテネ五輪と08年北京五輪の岩水嘉孝、16年リオ五輪の塩尻和也、そして前回の三浦と、多くの3000m障害五輪代表を輩出してきた大学で、3000m障害のトレーニングのノウハウがある。
それに加え小さい頃の遊びの体験や地元のクラブ、高校でのトレーニングなどで、体を思うように動かす才能が養われたことも大きい。混戦の中でも瞬時に障害までの距離を把握し、減速どころかスピードを上げながら踏み切ることができる。着地後も体勢を崩さずスムーズに走り始める。
そんな三浦でも、世界を相手にしてのレースでは消耗が大きい。最後の1周は国内レースのようには走れなかった。「疲れが大きくなると、障害を跳んで着地したときに多少の崩れが出ていました」(長門コーチ)
今年の5月から三浦は新しい練習方法を取り入れた。
「(負荷が大きい)ポイント練習をこれまでと同様に行い、ジョグやレストでつないで障害を置いてトラック1周を走るメニューです。これまでハードリングの練習は、他の練習と切り離して行っていました。5月から行ってきたメニューは、疲れた状態でも最後の1周のハードリングが崩れないようにすることが目的です」
その練習を月に2、3回程度ではなく、ポイント練習のほとんどで行った。相当にキツい練習だったはずだが、三浦はその目的を理解し、効果を信じてやり続けた。
「パリ五輪では最後まで脚が持つのかな、という状況でもラスト1周はスピードを切り替えていました。この1年間の成果、特に5月以降にやってきた練習の成果を、ここで出してくれたか、と思いました」
陸上競技個人種目の2大会連続入賞は、1920~30年台の男子跳躍種目、男子マラソン、男子ハンマー投(室伏広治)、女子マラソン(有森裕子)だけだった。トラック種目の連続入賞はそれだけ難しい。それを22歳の三浦がやってのけたのはやはり、3000m障害が「天職」と言えるほどこの種目への適性が高いからだった。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)