シリーズ「現場から、」です。能登半島地震で被災した石川県輪島市の老舗豆腐店で、3代目の男性が困難を乗り越え、移動販売を再開しました。仮設住宅に届けられる、変わらぬ味が被災した住民の心の拠り所となっています。
倒壊した家屋のそばを駆け抜ける、ブルーの軽トラック。
さいはての谷内のおとうふ 谷内孝行さん
「一応、貼り紙はしてあるんですけど…、きょう行くっていうのを知らない方はたくさんいると思う」
「さいはての谷内のおとうふ」。輪島市でおよそ60年、販売を続けてきました。
元日の地震では、工場の中にある機械の多くが倒れるなどして稼働できず、およそ3か月間の休業を余儀なくされました。13人いた従業員も半数近くが退職。店は一時、存続の危機に立たされました。
さいはての谷内のおとうふ 谷内孝行さん(今年1月)
「もし工場が潰れていれば、『廃業』ということも頭にはよぎった」
仮設住宅の完成に伴い、まちには少しずつ人の姿が戻りつつありました。
さいはての谷内のおとうふ 谷内孝行さん
「久しぶりにお顔見られるのが楽しみでもありつつ、どういう状況なのかを考えると、ちょっと緊張しますね。売るというよりも、会いに行きたかった」
3代目の谷内孝行さん。豆腐を積んで向かった先は、工場から車で20分ほどの距離にある南志見地区。谷内さんにとって初めての移動販売で訪れた、思い出の場所です。
今年に入って初めてとなる、地元・輪島での移動販売。仮設住宅の表札を頼りに常連客を探して回ると、トラックを囲むように住民たちが続々と集まってきました。
仮設住宅に住む常連客
「(Q.何買った?)いつものゴマ豆腐と油揚げ。地震のあと初めて会ったから懐かしかった」
「ま~、谷内さんの(豆腐)が良いわね。慣れとるからね、味が」
住民ひとりひとりと顔を合わせ豆腐を売り歩く、昔ながらの「行商スタイル」。地震で離れ離れになった集落の繋がりを再び取り戻す手段となりつつあります。
さいはての谷内のおとうふ 谷内孝行さん
「人それぞれ、どういう状態になれば『復興』と言えるのかは違うと思う。自分ができることは小さなことでも、今まで食べていた豆腐を届けることが自分なりの復興に近づけるのかなって」