10月27日に投開票が行われた、第50回衆議院選挙。いわゆる“10増10減”で新設された選挙区の一つ、東京26区で当選を果たした無所属・松原仁氏(68)。地盤のない地域を含む新設区、かつ、無所属候補に課せられる“制限”がありながら盤石の勝利を収めた、“強さ”の理由を取材した。
“制限”も多い無所属での出馬「町の中は公認候補のポスターだらけ…」
今回新設された東京26区は、大田区の一部と目黒区全域からなる選挙区だ。松原氏は区割り変更に伴う立憲民主党・東京都連の選挙区調整の過程で離党を決意。立憲民主党という後ろ盾を捨て、新設の26区で無所属候補としての活動を始めた。
26区のうち大田区は松原氏の地盤だが、目黒区は新天地。ほぼゼロからのスタートで、知名度を上げることが大きな課題となった。しかし今回、松原氏は「無所属」での立候補。実は無所属候補の活動には、意外な制限がある。
例えば、私たちが街中で目にする候補者のポスターにも、実はルールが存在する。政党の公認を得て立候補する場合には、候補者1人につき、最大で1000枚の“政党ポスター”を貼ることができる。“政党ポスター”と定められてはいるが、デザイン次第で候補者アピールの手段となる。
一方、松原氏のように、無所属議員の場合には当然“政党ポスター”は存在しない。そのため、ポスターは公設の掲示板にしか貼ることができず、無所属の候補者にとっては不利な状況となり得る。一般的に、選挙戦が近づくと党公認候補はポスターを貼る作業に勤しむ一方、無所属候補はそれまで街中に貼っていたポスターを“隠す”作業に追われることもある。松原陣営も、「町の中は他の候補者のポスターだらけで…」と選挙活動時を振り返る。ポスター以外にも、ビラやハガキの枚数などに制限があり、選挙活動の手段は限られてしまう。
しかし、結果的に次点の候補者と約39000票差をつけての当選となった松原氏。“制限”を乗り越えて、着実に知名度を上げたワケとは。
陣営「ただ者ではない、気迫と運動量」 68歳でも磨きがかかる選挙活動
地理を把握することからスタートした目黒区では、とりあえず街中に飛び込む“どぶ板作戦”で着実に知名度を広げた。10月に入ると、目黒区を重点的に朝2時間と夕方4時間、あわせて1日6時間にもわたって駅前に立ち続けた。通勤時と帰宅時の両方に立つことで、有権者の印象に残す作戦だ。土日になると、長い時には1日4時間も自転車で選挙区を回った。実際、目黒区に住む筆者の知人も「あの人、いつもいる。ずっといる人だ」と話していて、こうした地道な運動が新天地でも「見たことがある、名前を聞いたことがある」という有権者を増やすことにつながり、着実に票が積み重ねられたと考える。松原氏の選挙戦を支える陣営の責任者ですら「ただ者ではない気迫と運動量。68歳の現在でも磨きがかかっている」と舌を巻いていた。
選挙期間中の取材では、松原氏本人からも“無所属”としての危機感を垣間見ることがあった。結果的に、その不安をパワーで押し切った選挙戦となったのではないだろうか。
「じんじんソング」や突如バズったSNS ユニークな選挙スタイルとは
松原氏の選挙スタイルは、選挙カーでの活動にも特徴がある。「ジンジンジン 松原仁」という軽快なメロディ。大田区や目黒区、そして前回対象だった品川区に住む人なら、一度は聴いたことがあるのではないだろうか。この「じんじんソング」に陣営は絶大な効果を感じているといい、まだ選挙権を持たない子どもでさえ、松原氏の名前を覚えるほどだという。
このような地道な選挙活動に加え、今回SNSも追い風となった。近年、SNSを利用しての選挙戦はメジャーであるが、松原氏の投稿は、特に反響の大きさが際立つ。これについて陣営に聞いてみると、きっかけは「偶然」のものだったという。一般の“国会ウォッチャー”によって偶然SNSに投稿された松原氏の論戦の動画が、60万回以上再生されるなど大きく拡散。これをきっかけにSNS上で松原氏への注目が跳ね上がったと陣営は分析する。公示日を前に投稿された決意表明は、なんと1万いいねを記録。公示前の1か月間にされた選挙活動に関する投稿では、平均約7000いいねを獲得するなど、注目度の高さが伺える。街頭活動中にも支援者から「投稿を見た」と声を掛けられるなど、陣営も反響を実感するほどとなり、SNS戦略をさらに強化することへと繋がった。偶然注目を浴びたSNSが起爆剤となり、無所属の壁を乗り越える一手となったように思う。
結果、松原氏は当選。2位以降の比例復活を許さないほどの票数を獲得した。地盤である大田区では、次点のほぼダブルスコアを得票する安定の強さ。一方、新天地である目黒区に着目すると、大田区に比べ、2位との差は縮まる。それでも、目黒区票の約10%にあたる12000票の差をつけて勝利した。
今回の衆院選は、候補者だけでなく、有権者にとっても怒涛の勢いで展開された。さらに新しい区割りとなったことで、馴染みのない名前が並び、投票先を迷う有権者も多かったのではないだろうか。「偶然」あの場所で見た、「偶然」名前を聞いたということが、いつも以上に大きな意味を為したように思う。そして、一票に繋がる偶然を生み出すため、様々な手段で展開された選挙戦が明暗を分けたと感じている。