ノーベル平和賞受賞の日本被団協と第五福竜丸の被曝
今年のノーベル平和賞は「日本被団協」=日本原水爆被害者団体協議会に授与されます。
日本被団協が結成されるきっかけとなったのは、1954年に現在のマーシャル諸島共和国のビキニ環礁で行われた、アメリカによる水爆実験でした。
ビキニ環礁での水爆実験から今年で70年。実験の2年後に日本被団協が結成されました。
【写真を見る】都立第五福竜丸展示館で開催。原水爆や、様々な『ちいさな生きものの姿』を描いた山内若菜展
水爆実験の放射性物質を浴びて被曝した船の一つ、23人が乗り組んでいたマグロ漁船「第五福竜丸」は様々な経緯を経て、現在、東京・江東区にある夢の島公園内の「都立第五福竜丸展示館」で展示されています。
都立第五福竜丸展示館で開催中の山内若菜展「ふたつの太陽」
都立第五福竜丸展示館では、2024年10月30日から2025年1月19日まで、画家の山内若菜さんの作品展「ふたつの太陽―命を紡ぐちいさな生きものたち」が開催されています。
第五福竜丸の左舷を覆うように吊るされている、縦3メートル、横15メートルほどの大作「ふたつの太陽」ですが、太陽の一つは広島の原爆、もう一つはビキニの水爆の炎を描いています。また、貝殻から作られる絵具「胡粉」で、「死の灰」を表現しています。
タイトルに「生きものたち」とあるように、被爆したが今も生き残る広島の樹木、そして、ビキニ環礁で被爆した船が、まるで巨大なマグロのように進んでゆく姿が描かれています。
11月17日(日)に開かれたギャラリートークで山内さんは、親子連れなどのお客さんたちを前にこう述べています。
山内若菜さん
「この絵をぜひ間近に見て発見してほしいです。バッタさんとか、カエルさんとか、ホタルも飛んでるし、カミキリムシもいて、線で描いたり、塗りで描いたり、色で描いたりしてるんです。子供たちが66匹見つけたよって言ってくれたりして、能動的に関わって、そして、この物語は何だったんだろうって、大人になって思い出してもらえたらいいなって思っています」
同じ日、「好きな生きものを描いてみよう」というワークショップも開かれました。
山内さんが、福竜丸を描いた大きな下地の上に、10人の参加者が思い思いに「生きもの」の絵を描きました。
最初は水彩色鉛筆やコンテではっきりした線で描いていましたが、山内さんのアドバイスで、徐々に、濡れティッシュを散らしたり、粘土を指で伸ばしたりと、様々な「生きもの」が描かれてゆきます。
描き終わると、参加者一人ひとりが自分の絵について説明し、山内さんが講評します。
参加した高校生
「平和に向かって進んでいる鳥と魚を描いてみました。右の黒いほうは、原爆とか水爆とかですが、キラキラしたものは、希望みたいなものを表しています」
山内若菜さん
「すごいどんどん描けるから、あんまりアドバイスしなかったんですけど、そういう意味があったんですね」
参加した小学生
「光の中に蝶々とか、白いものがいたらいいなと思って描きました。白だけだとなんかシュールだから、薄い色とかつけて、なんかこうぼやけてる存在になりました」
山内若菜さん
「すごい優しい絵だなと思いました。小さい蝶々が何匹もいて。ぼやっと描いているからこそ、蝶々に見えてきたんですよね」
完成した絵全体は、最終日まで館内に展示されます。
展示されている山内さんの作品は「ふたつの太陽」のほか、広島と長崎の原爆、そして、原発事故で被曝し、居住、立ち入りが制限された福島県内の牧場で、充分な世話ができず弱って死んでいく牛や馬など、様々な「いのち」を描いた三部作ほか、合わせて80点。
会場では作品が第五福竜丸を取り囲んでいます。。
山内若菜「未来への希望を」
山内若菜さん
「原爆や水爆を描いていても、テーマは『いのちの讃歌』。核のない未来へ進みたい」
「絵は、現在過去未来、たくさんの時空を超えて、過去の問題点も指摘しながら、未来への希望をここに掲げることができます。過去、現在、未来、それを全てを繋げてギュッと凝縮した形で、そして、私はこういうふうに描いたけれども、皆さん一人ひとりにいろんな違う物語を作ってほしいなと思っています」
「日本被団協」のノーベル平和賞受賞をきっかけに、核兵器をなくす運動の始まりを作った第五福竜丸のことを知る、伝える場が、東京にあることがあらためて思い起こされているでしょう。
山内若菜「ふたつの太陽―命を紡ぐちいさな生きものたち」は2025年1月19日まで。入場無料、原則月曜が休館です。
詳しくは、「都立第五福竜丸展示館」(03-3521-8494)のホームページなどを参照ください。
(TBSラジオ 崎山敏也)