気持ちがぴったり合った親友のことを「莫逆の友」と言います。
これは友達の中でも特に気が合うことを言った言葉です。
しかし、そもそも「莫逆」とは何を意味するのでしょうか?
今回は「莫逆の友」がどのような言葉なのかを解説します。
併せて「莫逆」が意味するものについても説明します。
「莫逆の友」とは
まずは「莫逆の友」の意味について見ていきましょう。
「莫逆の友」の意味
「莫逆の友」とは気持ちがぴったり合う親密な友達のことです。
現代風に言うのなら親友と言い換えられるかもしれません。
では「莫逆の友」の「莫逆」は何を意味するのでしょうか?
これに関しては「莫」が否定を意味しており「逆」が逆らうことを意味しているのだとか。
つまり「莫逆の友」は反論することのない友達のことを言います。
そのため、心から打ち解け合える友達を表す表現として覚えておきましょう。
「莫逆」の読み方
「莫逆」は「ばくぎゃく」と読まれるのが一般的です。
「莫大」と同じように「莫」は「ばく」と読みます。
「逆」はそのままの通り「ぎゃく」と読みます。
ただし、例外として「ばくげき」と読むこともあるとか。
そこは「莫逆」の読み方に注意しておきましょう。
「莫逆の友」の由来
では「莫逆の友」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからは「莫逆の友」の成り立ちについて見てみましょう。
荘子にある「莫逆の友」にまつわる話
「莫逆の友」は「荘子-大宗師」に登場する話から来ています。
その昔、ある4人の人物が集まって談笑していました。
その際「死と生が一体であることを理解している者がいるならぜひとも友達になりたいものだ」と語り合っていたのだとか。
そして4人はお互いを見て笑い「心に逆らうこと莫なし」と言ったとされています。
これは全員がお互いに反論したくなるような気持ちを持たなかったことを意味しています。
結果、4人は意気投合してそのまま親友になったのだとか。
この話から意見がぴったりと合致する友達を「莫逆の友」と表現するようになったとされています。
「荘子」とは
荘子は中国戦国時代の宋、蒙で生まれた思想家の1人です。
同名の「荘子」という書物を残した人物としても知られています。
また、道教の始祖の1人としても知られる人物とされています。
それら荘子の思想はあるがままの無為自然を好むのが特徴で、逆に人為を忌み嫌うものが多かったそうです。
「莫逆の友」の類義語
最後に「莫逆の友」の類義語についても見てみましょう。
「莫逆の友」の類語後には「刎頸の交わり」や「管鮑の交わり」「雷陳膠漆」などがあります。
刎頸の交わり
「刎頸の交わり」は心を許し合った親密な交際のことを言います。
この言葉は首を切られても悔いないほど固い友情を意味します。
それぞれ「刎」は切ること「頸」は首を意味しています。
要は首を斬られることも厭わないほどの交友を意味するわけです。
その点が「莫逆の友」と重なるのではないでしょうか?
ただ「莫逆の友」は気持ちがぴったりと合う親友を意味するだけで「刎頸の交わり」ほどの固い絆があるとは言えません。
そこは絆の度合いが違う点に注意しておきたいです。
管鮑の交わり
「管鮑の交わり」は極めて親密な交際のことを言います。
お互いによく理解し合っていて利害を超えた友情という意味で使用される言葉です。
「管」は春秋時代に活躍した名宰相の管仲を指します。
「鮑」は春秋時代に活躍した政治家の鮑叔牙を表します。
実際に管仲と鮑叔牙は若い頃から仲が良かったのだとか。
その2人の関係を言ったのが「管鮑の交わり」です。
その点が「莫逆の友」に通ずるものがあると言えるでしょう。
雷陳膠漆
「雷陳膠漆」とは固い友情で結ばれていることを意味します。
「雷陳」は中国後漢の雷義と陳重のことを意味しています。
両者は深い友情で結ばれていることで有名だったとか。
ちなみに「膠漆」は接着剤の膠と漆のことを意味しています。
つまりは膠や漆で結ばれるほど仲が良いことを言った言葉です。
その点が「莫逆の友」と似ていると言えるかもしれません。
まとめ
「莫逆の友」は気持ちがぴったり合う親友のことを言います。
「莫逆」とは古代中国の逸話から来た言葉となります。
これらは反発することのない友情を意味する言葉です。
そのため、親友がいるという方はぜひ覚えておきたい言葉の1つと言えるでしょう。