他人の的確な忠告ほど素直に聞き入れにくいことを「忠言耳に逆らう」と表現します。
これは核心を突いた指摘ほど、なかなか受け止められないことを言った言葉です。
今回はそれら「忠言耳に逆らう」について解説します。
特にここでは由来や語源についても詳しく説明します。
「忠言耳に逆らう」とは
まずは「忠言耳に逆らう」について見ていきましょう。
「忠言耳に逆らう」の意味
「忠言耳に逆らう」とは、他人がしてくれる忠告ほど素直に聞き入れにくいということの例えです。
事実、親身になって忠告してくれたとしても受け入れるには時間がかかるものです。
それらせっかくの忠告でも受け入れられないという意味で使用されるのが「忠言耳に逆らう」となります。
しかし、これらはもともと忠告によって行動が変わるということまで含む言葉でした。
そのため、本来は的確な忠告ほど聞き入れがたいものの本人のためにはなるということを言った言葉と言えます。
なお、古代中国では「忠言耳に逆らう」と併せて他の言葉も使用されていたため、現在とは少し意味が異なります。
これらに関しては後々の項目で詳しくまとめるので、そちらも参考にしてみてください。
「忠言耳に逆らう」の類義語と対義語
次に「忠言耳に逆らう」の類義語と対義語を見てみましょう。
類義語は「良薬口に苦し」
「忠言耳に逆らう」の類義語は「良薬は口に苦し」となります。
「良薬は口に苦し」とは良い薬ほど苦い反面、効果があるということを言った言葉です。
転じて、適切な忠告ほど気分を害するものだが、きちんと聞き入れれば本人のためになるということの例えとして使用されます。
事実、核心を突いた声ほど耳が痛くなるものです。
しかし、それによって改善できれば成長できます。
つまりは辛辣な助言こそ自分のためになるわけです。
それらの点が「忠言耳に逆らう」と共通しています。
対義語は「佞言は忠に似たり」
「忠言耳に逆らう」の対義語は「佞言は忠に似たり」となります。
「佞言は忠に似たり」とは媚びる言葉ほど忠義の言葉と似ているため、注意して聞かなくてはいけないという意味の言葉です。
相手に気を振る舞うような言葉ほど薄っぺらいものです。
それら取り入ろうとするようなへつらった言葉は真心を持った誠実な言葉とよく似ているからこそ注意しなければなりません。
そのへつらいの言葉に気をつけるべきという点が「忠言耳に逆らう」と反対の意味を持ちます。
「忠言耳に逆らう」の由来
では「忠言耳に逆らう」はどこから来たのでしょうか?
孔子の言葉から
「忠言耳に逆らう」は孔子の言葉から来ているとされています。
特にこれらは古代中国でしばしば引用されることわざから来ています。
例えば「孔子家語-六本」では孔子が「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」と述べています。
これは忠告は聞き入れにくいものだが、行動を正してくれるという利点があることを言った言葉です。
つまり、「忠言耳に逆らう」は他人の忠告ほど素直に聞き入れにくいものの自らの行動を正してくれるということを言ったことわざから来た言葉なのです。
しかし、実はこれにもさらに前置きがあるとされます。
それが次の項目で述べる「良薬は口に苦し」です。
類義語の「良薬口に苦し」は「忠言耳に逆らう」とセットの言葉
「忠言耳に逆らう」の類義語は「良薬は口に苦し」です。
しかし、これらはもともと両方で1つの表現だったそうです。
事実、もともとは孔子の「良薬は口に苦けれど病に利あり、忠言は耳に逆らえども行に利あり」という言葉から来ています。
そのため、どちらも類義語であり、本来は両方一緒に使用する言葉だったのです。
特に古代中国ではこれらを1つのことわざとして使用していたと考えられます。
それがそれぞれ独立し「良薬は口に苦し」と「忠言耳に逆らう」とで分かれたわけです。
日本にもそれらが広まり、独立して使用されているのです。
まとめ
「忠言耳に逆らう」は他人の忠告ほど、真摯に受け止めるのが難しいことを言った言葉です。
しかし、この言葉にはそれら忠告を受けることで自分の行動を正せるという意味も含まれています。
だからこそ、耳を傾けるべきというニュアンスが強いです。
これらは「良薬は口に苦し」などと同じ意味を持ちます。
ただ、どちらももともとは孔子などの言葉から来ており、かつては両方一緒に使用されていました。
それらの背景も知ると、この言葉の意味がより捉えやすくなるかもしれません。
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