外身と中身が一致しないことを「羊頭狗肉」と表現します。
転じて、これらは見せかけや触れ込みがどんなに立派であっても実質が伴わないことなどを言います。
しかし、なぜそれが「羊頭狗肉」なのでしょうか?
今回はそれら「羊頭狗肉」という四字熟語について解説します。
ここでは特に「羊頭狗肉」の意味はもちろん、由来や語源についても説明します。
「羊頭狗肉」とは
まずは「羊頭狗肉」という言葉の意味を見ていきましょう。
「羊頭狗肉」の意味
「羊頭狗肉」とは外身と中身が一致しないことの例えです。
見せかけや触れ込みが立派でも実質が伴わないことを言います。
特に看板は上等でも実際に売っている品物はごまかし物で劣悪であることを指す四字熟語です。
これらはもともと羊の頭を看板に掲げながら犬の肉を売っているような様子を指した言葉だったそうです。
事実「羊頭」は羊の頭を、「狗肉」は犬の肉を意味します。
実際に昔は羊の頭が高級品とされ、逆に犬の肉は低級品とされていました。
転じて、それらを偽って売るような様子から外面と内面が伴わないという意味が生まれたと考えられます。
中でも現代では商品を良品と見せかけたり、誇大広告したりするような様子を意味する言葉として重宝されています。
「羊頭狗肉」の由来
では「羊頭狗肉」はどこから来た言葉なのでしょうか。
ここからは「羊頭狗肉」の由来や語源についてまとめます。
「羊頭を掲げて狗肉を売る」の略
「羊頭狗肉」は「羊頭を掲げて狗肉を売る」の略とされています。
これらはお釈迦様の逸話を批判する表現として生まれたものです。
ただ、昔は本当に羊頭を掲げて狗肉を売るような店もあったのかもしれません。
それらの背景から生まれたと考えると面白い表現と言えます。
次の項目ではより詳しい「羊頭狗肉」の由来や語源についてまとめます。
お釈迦様の逸話を批判する内容だった
「羊頭狗肉」は古代中国の禅の公案集「無門関」にある言葉から来ていると考えられています。
「無門関」は当時、高僧であった無門慧開が編集した書物です。
この中で無門慧開は釈迦の説法「拈華微笑」を批判するために「羊頭を懸けて狗肉を売るようなもの」だと表現したのだとか。
「拈華微笑」は釈迦が説教の間に花を拈ったところ、舎弟の中でその意味に気づいたのは一人だけだったという逸話のことです。
これは仏教の教えは言葉だけで理解できるものではないという戒めでもありました。
無門慧開はこの「拈華微笑」の教訓に対し、聴衆に理解できないなら見かけが立派でも意味がないのではと疑問を呈したわけです。
その際の表現が「羊頭を懸けて狗肉を売るようなもの」だったとされています。
これが「羊頭狗肉」の由来や語源と考えられているのだとか。
「羊頭狗肉」の類義語
最後に「羊頭狗肉」の類義語についても見ていきましょう。
羊質虎皮
「羊質虎皮」とは外面は立派だが内面が空疎であることの例えです。
強そうに見えても実際は弱いことの例えとして使用されます。
これらは羊であるにもかかわらず虎の皮をかぶっているという表現から来た四字熟語とされています。
それら見掛け倒しであるというところが「羊頭狗肉」と同じなのではないでしょうか。
玉を衒いて石を売る
「玉を衒いて石を売る」とは値打ちがある一級品のように見せかけて、実際には粗悪品を売ることの例えです。
これらは高価な玉と見せかけて値打ちのない石を売るところから来ている言葉となっています。
事実「衒う」という表現は実物以上に見せかけることを言った言葉となります。
それら詐欺にも近いやり方をするところが「羊頭狗肉」に通ずるのではないでしょうか。
まとめ
「羊頭狗肉」は外面だけで内面が伴っていないことの例えです。
実際にこれらの言葉は外見が立派でも中身がなっていないような様子を表す言葉として使用されます。
現代では詐欺行為などをまとめて「羊頭狗肉」と表現することもあります。
どちらにせよ良い意味ではないので、誰かに使用する際には注意しましょう。