![酵母が津波に流され…逆境から生まれた“浪江の酒”が海外へ!「辛いタイ料理に日本酒が合う」傷つけられた地元の誇りを取り戻す【つなぐ、つながる】](/assets/out/images/jnn/1045648.jpg)
13年前、津波に襲われ全壊した老舗の酒蔵「鈴木酒造」。津波で「酵母」も流され、“廃業”も頭をよぎりましたが…震災から8か月後には酒造りを再開。逆境から生まれた“浪江の酒”は、世界に羽ばたき始めました。
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津波と原発事故で酒作りが… “廃業”救ったふたつの故郷
鈴木大介さん
「酒蔵があった場所。たいたいここからそのあたり」
鈴木大介さん(50)。
防災林が立ち並ぶこの場所にかつてあった酒蔵の杜氏でした。
鈴木さん
「人の暮らしが全く感じられない。それがすごくさみしい」
福島県浪江町で江戸時代から続く老舗「鈴木酒造」。
しかし13年前、津波に襲われ、酒蔵は全壊しました。
酒造りに大切な水が湧く井戸は壊れ、その酒蔵ならではの酒の風味を醸し出す「酵母」も失われました。
鈴木さん
「酵母に酒蔵の歴史自体がここに詰まっている。酒造りの根拠自体全く失った」
頭をよぎったのは「廃業」の2文字でした。
ところが、意外なところに酵母は眠っていました。
震災の2か月前に福島の研究所に提供していたのです。
鈴木さん
「酵母をたまたま研究材料として福島県の試験所に預けていた。ちょうど研究所に残っていた。なんか目の前に蜘蛛の糸がぱっと1本降りてくるような、酒蔵の歴史が繋がったし、酒造りもやっていけるかもしれないなっていう風に思えた」
鈴木さんはすぐに動き出します。
震災から8か月後には浪江町から約140キロ離れた、山形県・長井市で酒造りを再開。出荷をはじめました。
しかし、原発事故の影響で浪江には戻れません。
それでも、鈴木さんを後押ししたのは、同じように故郷に帰れずにいた浪江の人たちの声でした。
鈴木さん
「『浪江の酒を作ってくれ』と声掛けをしてもらって、『地元に帰れるよね』という薄い望みを持ってないとみんなくじけそうな感じだった。そのときに、気持ちは弱いけど何とか前向きにやっていこうと」
そして、震災から10年、ついに鈴木酒造は浪江町に戻ってきました。
真新しいタンク、ピカピカの蔵。山形の蔵でも、酒造りを続けます。
鈴木酒造に“ふたつの故郷”ができたのです。
「浪江の誇りに」…特別な酒“故郷ふたつ”が海外へ
東日本大震災と原発事故を乗り越えて、福島県浪江町で酒蔵を再開させた「鈴木酒造」。2月、杜氏の鈴木大介さん(50)は、ある“特別な酒”を携えてタイ・バンコクを訪れました。
浪江で造った酒の海外展開に乗り出したのです。現地で開かれたレセプションで振る舞ったのは「故郷ふたつ」と名付けた酒。
飲んだ人
「タイ料理は辛いものが多いので、この甘い日本酒は相性がいいと思います」
山形で造った酒を浪江に運び、浪江の水と酒で仕込み直した特別な酒。
逆境に立ち向かい、力に変えて、生まれた酒です。
鈴木さん
「支えてくれた方がいっぱいいますし、避難して酒造りを始めた山形の土地がなければたどり着かなかった。文字通り、故郷がふたつある」
山形と浪江、2つの故郷を持つ酒が世界に羽ばたき始めました。
鈴木さんは、一度はふるさとを失った人たちの「誇りに繋がれば」と話します。
鈴木さん
「浪江に住んでいた人たちは『浪江ってよかった』と誇りに思っていたけど、それが震災で傷つけられた。その傷つけられた誇りを取り戻す作業をしていって、『やっぱり良かったんだね』と思ってもらうようなことをしていきたい」