![「コンサート自体、“人殺し”って言う人もいた」震災13年、箭内道彦とサンボマスター・山口隆が語る「いまクリエイティブにできること」](/assets/out/images/jnn/1080692.jpg)
東日本大震災が発生してから13年。ともに福島県の出身で、音楽ユニットも組んでいるクリエイティブディレクターの箭内道彦さんとサンボマスターの山口隆さんが、震災時を振り返り、“ふるさと”のために今、「クリエイティブにできること」を語り合った。
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「こういう場所に、これだけ人を集めて、なんなんだお前は」
──箭内さんを実行委員長として2011年9月14日から19日の6日間、福島県を西から東に横断した野外ロックフェスを行い、山口さんもサンボマスターとして、猪苗代湖ズとして、ままどおるズとしてもステージに立った。このフェスには約2万人が訪れ、その様子はYouTubeでも生中継された。東日本大震災が発生してから約半年。そのタイミングでフェスを開いた意義とは。
箭内道彦:
(ライブの様子を見ながら)この時の僕の(撮影する上での)ディレクションは、サンボマスターをもちろん映してほしいんだけど、「お客さんの表情をとにかくたくさん撮ってください」って言った。これすごく大事なんです。やっぱり音楽って鳴らしてる人だけではなくて、聴いてる人も一緒に表現なんだよね。
山口隆:
この時はちょっともう…俺たちも箭内さんも、普通ではなかったね。
箭内:
いや普通じゃなかったね。多分コンサートをやること自体、“人殺し”とかって言う人もいた頃だからね。「こういう場所に、これだけ人を集めて、なんなんだお前は」っていう。放射線量もしっかり測って開催したんだけどね。
山口:
今から思うと俺たちは箭内さんのおかげもあって、本当に一生懸命やることができたのよ。だけど箭内さんは…結構(批判を)受けたよね。箭内さんは俺らに言わなかったね。
箭内:
いやあ言わなかったっけ。
山口:
言わなかった。泣いてばっかり(笑)
箭内:
人に言うと、保てなくなっちゃうような時でした。
もうロックンロールをやることだけに集中した
山口:
(観客は)2万人くらいでしたっけ?(会場は)全部で何か所ありましたっけ?
箭内:
6か所。
山口:
6日間連続でやったんですよ。
箭内:
そう6日間、全部、出てくれて。山口くん。6日間、会場を変えて、やるなんて「バカじゃないか」と。
山口:
そうね。よく考えたらね(笑)
箭内:
普通にいったら採算合わないし「そんな大変なことやるもんじゃない」って大人たちから注意されて、だから逆に「絶対やるぞ」って思っちゃったんだよね。
山口:
今から思うと、もうロックンロールをやることだけに集中したんですよ。出来たんですよ。箭内さんは大変だったね。
箭内:
結構、大変だったね。
山口:
俺たちは、ずっと集中してやるだけ。箭内さんは、俺らに一言も言わなかったね。「こういうところ大変だった」とか。
箭内:
色々…色々あったよ。
山口:
そうか…ありがとう。今、分かるよ。
福島の人が「生きてるんだぞ」っていうのを見せたかった
箭内:
いや、でもこの時のサンボマスター、ものすごくいいよ。いまだにYouTubeでみんな見まくってるでしょうこの映像。皆、いっぱいいっぱいなのよ。集まってる福島の人たちも。
山口:
でも集まってくれたんだよね。
箭内:
やっぱりクリエイティブというかエンターテイメントって、絶対必要なもんだと思ってて。震災の直後は、音楽って無力みたいな言われ方もしたけど。こうやってさ、笑顔になったり、涙を流したり、腕振ったり、大きい声で歌ったりってしないと。人間、全員じゃないんだけど、生きていけない人ってたくさんいるんだよ。音楽、エンターテインメントはそれが許される。合法的に許される場所なんだよね。
山口:
この時に俺たちは…やりたかった。ロックを。場所を作ってもらえたというのはありがたかったね。福島の全部をまわるんですよ。だから同じ場所じゃダメだったんだよね。福島の一番最初は、本当に会津の奥の方。だって会津若松市から1時間半ぐらい行くかな?
箭内:
奥会津。
山口:
でも、すごい人が来てくれたんだよね。全部で6か所やって。何かな…クリエイティブってやっぱ力ありますね。やっぱりね。
箭内:
ありますよ。この頃、世界の人で「福島にもう人が住んでないんじゃないか」って思ってる人もいたから。これはもう台湾とか中国の人たちもたくさん見てたわけ。YouTubeで、リアルタイムで。人がこうやって「生きてるんだぞ」っていうのを見せたかったんだよ。だからもうサンボマスターよりたくさん映っているわけ。お客さんが。
デザインってかっこよく、美しく、バランスよくって思って、もうそれに押しつぶされていた
山口:
俺はさ、クリエイティブってのは福島とどのぐらい繋がってるかわかんないけど、自分の生活と離れたところにあると思ってたんですよ。全てのものが。自分が生きてて、寝て起きてという自分の暮らしの範囲と、そういう世界は別モノだと思って。
もっと言うと、自分から湧き出るものはありますよ、「ワーッ」とかってなる。この「ワーッ」は、何だかわかんないけど、そういう世界とは無縁の「ワーッ」。いつまで経っても自分達はそれで良いと思ってたんだけど、箭内さんを見た時に、あれ?この「ワーッ」って思っているのを、福島に繋げてる人がいると。
箭内:
そこ大事。
山口:
そこで…うまく言えてないかな(笑)
箭内:
うまく言えてる。学生にも、俺やっぱそこがテーマだと思ってて。別モノだって思ってるのを、別モノじゃないんだよという体験をさせることが「教える」ことだと思ってやってるんですよ。だから“接続”なんだよね。本当に。
山口:
だから、これが繋がるっていうことが分かってないわけですよね。ギターを持って「何かこれをやっても、あんまり人に受けないだろうな」と思いながらやる。自分の“業”じゃないけど、どうしようもないもの。だけど、箭内さんはそれが繋がるんだよって言うんだよね。それは繋げて良いんだよって。それがクリエイティブになりうるんだよということを。
箭内:
繋げることができなくてずっと10年ぐらいモヤモヤしてたからこそ、これ繋げればいいんだって、ある日気がついた。
山口:
箭内さんも繋げられないと思っていた?
箭内:
もう別モノだと思っていた。デザインってかっこよく、美しく、バランスよくって思って、もうそれに押しつぶされていたわけ、自分が。そうじゃなくてもいいんだと。本当にその時に、自分がどう感じたか、怖がらずに作ればいい。
かつて避難所だった場所でフェスを開催する理由
──箭内さんはことし還暦を迎えるのを機に、3月30日から31日まで、初めて「さいたまスーパーアリーナ」でロックフェスを主催する。サンボマスターや乃木坂46らも出演する予定だが、この場所で行うのには“特別な理由”があるという。
箭内:
ちょうど13年前の3月は、「さいたまスーパーアリーナ」が避難所だったんですよ。福島県の双葉町の方々が、もう町ごと「さいたまスーパーアリーナ」に避難してたりして。そこで“今の音”を奏でるってとても大事だなと思って。
山口:
このフェスは、箭内さんの目から見て、クリエイティブ?
箭内:
クリエイティブの一つの要素として、AとBという違うものからCが生まれる。それってクリエイティブなんですよ。きっと音楽でもそういう経験あるでしょ。二つの楽器が向き合うことで、新しい音が生まれるみたいな。そういう意味ではすごくクリエイティブな(演者同士の)組み合わせなんだなと僕は思いますよね。
山口:
箭内さんは言葉に出来るのがすごいですよね。俺らはさ、何がクリエイティブかって分かんないけど、箭内さんは、その言葉にできるじゃないですか。いや、俺らは曲にするしかないけどさ。流石、東京藝大に現役で入った人は違う。
箭内:
いや、現役じゃない。3浪しました!高校に2回行ってる計算だよ。弟より若いやつと同級生だよ(笑)