金メダルを獲得した、パリオリンピック™フェンシング、男子フルーレ団体 松山恭助選手、飯村一輝選手、敷根崇裕選手、永野雄大選手の4人の皆さんにNスタのスタジオに生出演していただきました。
【写真を見る】フェンシング・男子フルーレ団体がスタジオ生出演!勝因は「“いつも通りの自分たち”を発揮したこと」【ゲキ推しさん】
4選手が感じる「金メダルの重み」
南波雅俊キャスター:
2012年に行われたロンドンオリンピックの銀メダル以来のメダル獲得がパリオリンピックの金メダルという快挙になりました。
まずは松山恭助選手、金メダルの重みはいかがですか。
松山恭助選手:
純粋に重たいです。色々な人の思いがあるので、今までの人生の中でも一番思い入れのあるメダルとなりました。
南波キャスター:
キャプテンとしてのプレッシャーもありましたか?
松山選手:
連日メダルを獲得していたので、すごくプレッシャーがありましたが、一番良い色のメダルを取れてよかったです。
南波キャスター:
最年少で20歳の飯村一輝選手、金メダルはいかがでしょうか。
飯村一輝選手:
僕たちだけでは成しえなかったことだと思います。これまで支えてくださった皆様の支えがあって僕たちが成り立つので、感謝の気持ちを忘れずにフェンシングを続けていきたいなと思います。
南波キャスター:
敷根崇裕選手、いかがでしょうか?
敷根崇裕選手:
私は幼い頃からオリンピックでの金メダルをずっと思い続けてきたので、今回それが叶ってすごく嬉しいです。
南波キャスター:
会見で「自信はあったけれども、ただプレッシャーもあった」という風におっしゃってましたね。
敷根選手:
東京オリンピックのリベンジと考えるとすごく緊張してしまって、なかなかうまく自分のプレーを発揮することができなかったのですが、その中でもちゃんと食らいつくことができたなと思うので、とても良かったです。
南波キャスター:
そして、リザーブからものすごい活躍でした永野選手は、金メダルいかがでしょう。
永野雄大選手:
一番良い色のメダルですが、本当にあの試合に自分が出ていたのかと疑ってしまうぐらい、すごいことをやったんだなと感じます。
実際にオリンピックで使用したサーブルとマスクがスタジオに
南波キャスター:
今回、飯村選手には、実際にオリンピックで使用したサーブルとマスクを持ってきて頂きました。重みがありますね。軽い中でも、ずしっとくる感じ。
飯村選手:
マスクの方が重いかもしれないです。
南波キャスター:
かなり重いですね。1キロぐらいありますか?
飯村選手:
1キロぐらいありますね。
南波キャスター:
これを被ってバランスを保つのですね。
山内キャスター:
会場は暑いですか?涼しいですか?
飯村選手:
今回の会場は、それほど暑さは気にならなかったのですけど、滝汗をかきます。
山内キャスター:
それは緊張からくるものですか?興奮からくるものですか?
飯村選手:
単純にユニフォームが分厚いのもありますし、歓声と熱気による重さと暑さでぐちゃぐちゃになっていました。
決勝の試合の裏側 順番は誰が考える?
南波キャスター:
決勝の試合も伺っていきたいと思います。
9試合戦う中での合計得点を競っていくのですが、第8試合の永野選手に注目しました。
8試合目で1点リードの場面、永野選手が今大会初めてリザーブからの試合出場で5連続ポイントがありました。改めて振り返って、あのときの思いはいかがだったでしょうか?
永野選手:
無我夢中で、動いていました。上手くいきすぎて自分でもびっくりしました。
南波キャスター:
会見では「駄目もとで思い切ったプレーをした」とおっしゃってました。
永野選手:
練習でやったことだけは最後までやろうと。それだけ考えて試合に入りました。その心意気がうまくいった感じです。
南波キャスター:
相手は元世界王者でした。
永野選手:
練習では全く勝てませんでした。吹っ切れて試合に臨めた要因かもしれません。
南波キャスター:
その活躍もあり、日本が勝利を手繰り寄せたわけですが、重要なポジションという意味では今回、最後の第9試合を務めたのがアンカー、飯村一輝選手です。飯村選手はそれまでの試合の中でも素晴らしい働きも見せてきたわけですが、相当緊張したのではないですか。
飯村選手:
今回アンカーを任せてもらいましたが、これまでアンカーをやったことがありませんでした。日本代表ではずっと敷根さんにアンカーをお願いしていたのですが、直前に「一輝をアンカーにしようと思う」と言われて最初は驚きました。任せてもらっている以上、もうやるしかないなと。勝ち切ることを前提に全力でやろうと腹をくくりました。
山内あゆキャスター:
順番などは、どなたが考えるのですか。
飯村選手:
ルペシューコーチが事前に考えます。試合の前にミーティングがあるので、そこで選手たちに順番を発表します。
山内キャスター:
ここでこうするっていう戦略は事前に発表されていたわけですね。
南波キャスター:
もちろん全員の全ての戦い、全てのプレーが金メダルに繋がったと思うのですが、勝利の大きな鍵になった部分をキャプテンの松山恭助選手はどのように振り返りますか。
松山選手:
どこにフィーチャーするかによって変わってくると思っていますが、総力戦で勝ったということが1つだと思います。軸となる私と敷根選手がしっかりこらえる所をこらえて、飯村選手が自由に自信を持ってプレーし、永野選手がリザーブで急遽入ってもしっかり自分のプレーをしました。
全員が特別な事をやらずに、いつも通りの自分たちを発揮したことがこの結果に繋がった一番大きな理由だと思います。
南波キャスター:
敷根選手は東京オリンピックでは個人・団体で4位で悔しさがあったと思いますが、最高の結果で晴らすことができた部分は改めていかがでしょうか。
敷根選手:
夢である金メダルで東京オリンピックの悔しさを晴らせたのはすごく嬉しく思います。
リザーブの永野選手は別のホテルに?
南波キャスター:
選手がパリオリンピックの選手村に入る中、リザーブで選ばれた永野選手は別のホテルにいたということですね。
山内キャスター:
どんなホテルでどのくらいの距離だったのですか。
永野選手:
練習場までタクシーで20〜30分ぐらいかかってしまうところです。それだけは許せませんでした。
山内キャスター:
泊まることはできなくても選手村に行って一緒に食事やミーティングをするのは良いのですか。
永野選手:
それは、問題ありません。
山内キャスター:
選手村で他の選手とコミュニケーションをとることはできたのでしょうか?
永野選手:
やろうとしたらできたのですが、あまり興味がなかったです。
選手村はダニが? 今回はフェンシング界の「始まり」
山内キャスター:
試合に対して何か弊害になることはありましたか?
永野選手:
ありませんでした。選手村も結構大変なところがあります。ホテルでいつも通り自分のリズムで生活したことで、試合に集中することができたと思います。
山内キャスター:
選手村も大変そうだったと仰ってましたが、選手村で酷い目に遭ったりはしましたか。
松山選手:
私はダニに刺されたりしました。
飯村選手:
朝起きたら手がパンパンに腫れていました。
山内あゆキャスター:
試合に影響出そうですが…
飯村選手:
左手だったので命拾いしました。
南波キャスター:
いろいろ乗り越えながらの金メダルということですが、5つのメダルを獲得し、素晴らしい結果になりました。フェンシング界という意味も含めて今後に向けた次なる目標を教えてください。
松山選手:
今回のメダル獲得は私たちだけではなく、フェンシング界の「始まり」だと思っています。もちろん私たちも日本代表でありたいのですが、4年後、8年後のオリンピックで次の世代が今回のような数のメダルを獲得できる競技団体になっていけば、フェンシングももっと日本で人気が出ると思うので、期待したいです。