噓偽りのないありのままの心のことを「赤心(せきしん)」と言います。
日本ではこれら「赤」に関する言葉がいくつかあります。
しかし、そもそも「赤心」とはどこから来たのでしょうか?
今回はそれら「赤心」という言葉について解説します。
特にここではその意味はもちろん成り立ちも説明します。
「赤心」とは
まずは「赤心」がどのような言葉なのかを見てみましょう。
「赤心」の意味
「赤心」とは噓偽りのないありのままの心のことを言います。
「赤」は裸、あるがままという意味の言葉です。
「心」は心、そのままという意味の言葉です。
つまりは何もない剥き出しの心のことを意味します。
なお、これらは「赤心を吐露する」のように使用します。
そこから転じて、単に真心のことを意味することもあるとか。
そのため、基本的にはポジティブな意味で使用されます。
むしろ、ネガティブな意味で使用されることはありません。
伊勢名物「赤福餅」の名前の由来でもある
伊勢名物に「赤福餅」という和菓子があります。
この「赤福餅」の名前も実は「赤心」から来ています。
実際に公式に「赤心慶福(せきしんけいふく)」にちなむと明言されているのです。
「赤心慶福」とは赤ちゃんのような真心で自分や他人の幸せを喜ぶことを意味する四字熟語です。
事実、京都から来たお茶の先生があんころ餅を「赤心慶福」と讃えたところから「赤福餅」という名前が来ているとか。
当時、創業者の治兵衛がそれを聞いて屋号と製品名に採用したとされています。
このように「赤福餅」の名前は「赤心」から来たのです。
「赤心」の由来
では「赤心」自体はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからは「赤心」の成り立ちについて見てみましょう。
赤心の出典は「後漢書」から
「赤心」という表現は古代中国の「後漢書」に見られます。
そこに「赤心を推して腹中に置く」という表現があります。
これは後漢の時代、光武帝が皇帝になる前の話にちなむとか。
その昔、ある戦争で敵の兵士が光武帝に降参したそうです。
しかし、彼らは敵ということもあり裏切る可能性があります。
そこでどう判断すべきなのか味方の兵士は迷っていました。
そんな中、光武帝は何人かの味方の兵士を連れ、降参した敵の兵士へ出向いたそうです。
その際、彼は敵や味方に関係なく誠意を持って接したのだとか。
その誠意ある光武帝に感動した兵士たちは心から忠誠を誓うようになったとされています。
この故事から「赤心を推して腹中に置く」ということわざが生まれたそうです。
転じて、さらにそこから「赤心」という熟語が生まれたとされています。
「光武帝」はこんな人物
光武帝は後漢王朝の初代皇帝とされる人物です。
中国史上、一度滅亡した王朝の復興を旗印として天下統一した唯一の皇帝とされています。
また、漢委奴国王の金印を倭(日本)の奴国の使節に与えた皇帝としても知られています。
ちなみに彼は「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」などのことわざも残しているとか。
強調表現として用いられる「赤」
日本ではしばしば強調表現として「赤」が使用されます。
最後にそれら「赤」の強調表現について見てみましょう。
強調表現としての「赤」
日本では古くから「赤」が強調表現の一種とされてきました。
実際に「赤」には明らかなどの意味があるとされいます。
そのため「赤の○○」というような表現が生まれたとか。
赤を強調表現として使用する言葉
ここでは「赤」を強調表現として使用する言葉についてまとめておきます。
赤の他人
「赤の他人」とはまったく縁のない他人のことです。
何の関わりもない他人、完全に無関係な他人を言います。
これは単なる「他人」に「赤」を付随させて強調した表現です。
赤っ恥
「赤っ恥」とはものすごく恥ずかしいことを言います。
赤面するほど酷く恥をかくことを言った言葉です。
こちらも単なる「恥」に「赤」を加えて強調した表現となります。
赤裸々
「赤裸々」とは包み隠さないことです。
これは丸裸にされるようなことを言います。
こちらは「裸」という何もない状態を重ねて、さらにそこに「赤」を足して強調した表現となっています。
まとめ
「赤心」はありのままの心のことを言った言葉です。
これらは嘘偽りのない心の表現として使用されます。
日本ではこのように「赤」を強調表現として使用することが多いです。
他にも「赤」がつく言葉はたくさんあるので、ぜひ併せて覚えておくと役立つかもしれません。
関連記事はこちら
世話をすることを指す「手塩にかける」、その言葉の由来はかつての食事時の風景から
無関係な人を意味する「赤の他人」の「赤」の語源は何?その由来を解説
「立つ瀬がない」は、どんな場所に立っていられないの?その意味を解説!
「こけんにかかわる」とはどんな意味?「沽券」とはなんのこと?