シリーズ「つなぐ、つながる」です。13年前の東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町で、新型ライフジャケットの開発プロジェクトが進んでいます。きっかけは、津波で同僚たちを失った町の元職員の提案でした。
【動画】「最後まで住民を守ろうとしながら命を失っていった」新型ライフジャケットの開発プロジェクト きっかけは津波で同僚たちを失った町の元職員の提案
南三陸町で始まったGPS機能付きライフジャケットの開発プロジェクト。海に投げ出された人の位置を特定し、迅速に救助できるよう実験を重ねています。
開発のきっかけは、震災当時、町の職員だった高橋一清さん(63)の忘れられない13年前の記憶でした。
元南三陸町職員 高橋一清さん
「そこでドンと大きな地震が起きて」
「津波が来る」そう思った高橋さんは、町の計画に基づいて防災対策庁舎へ。ところが、耳に入ってきたのは「避難所運営にあたれ」という指示でした。
元南三陸町職員 高橋一清さん
「当日は若い職員たちを出張に出していた」
不在の若手に代わり、急きょ、避難所が置かれる高台の中学校へ向かいました。そして、地震からおよそ40分後、津波が町を襲う様子を高台から撮影した当時の映像には高橋さんの姿が。
元南三陸町職員 高橋一清さん
「起きていることがにわかに信じられなくて、ただただ、『みんな早く逃げて』というような声をかけていた」
つい先ほどまでいた庁舎は屋上まで津波にのまれて職員ら43人が犠牲に。仲間を亡くした経験から、津波に遭っても助かる方法はないか、高橋さんは考えました。
元南三陸町職員 高橋一清さん
「ライフジャケットがあれば、海に流されても見つかる確率は高いのでは。犠牲者を減らしたい」
そこで、高橋さんは災害支援を手がける企業に提案、アドバイザーとして開発に携わります。介護施設など、自身を優先しての避難が難しい職場を中心に配置が検討されています。
元南三陸町職員 高橋一清さん
「私の仲間たちが最後の最後まで住民を守ろうとしながら命を失っていった。苦しい経験をしたことをそれだけで終わらせてはいけない」
あの日、犠牲になった仲間の教訓を未来に繋ぐため、実用化に向けて改良は続きます。