ロシアによるウクライナ軍事侵攻から2年。2000人を超える日本へと逃れたウクライナ人にとって、避難生活も1年半以上となっているケースが多い。
【写真を見る】「帰りたい」葛藤とそれぞれの痛み… 避難生活を「記録」する人も ウクライナ侵攻から2年 避難民の思い
日本に避難した人たちは今何を感じているのか。取材をすると「避難民」と一括りにできないそれぞれの葛藤や痛みが見えてくる。
「早く戦争終わって」渋谷駅前で避難民が集会
軍事侵攻が始まってから丸2年となった2月24日、東京の渋谷駅前では100人を超えるウクライナ避難民らが集まった。
参加者の多くはウクライナ国旗を身につけ「ロシアを止めよう」「ウクライナを助けて」と訴えた。通りかかった多くの人が足をとめて聞き入っていた。
集会に参加したユリ-ヤ・ナウメンコさん(31)さんは、北東部スーミ州の出身。故郷は軍事侵攻直後、一時ロシア軍に占領された。
もともと日本にいた兄を頼って、侵攻の翌月に母親とともに日本へと逃れた。避難生活ももうすぐ2年となる。
ユリ-ヤ・ナウメンコさん(31)さん
「早く戦争が終わってほしいです。自分の親族や友達がいつ死んでしまうかわからない。毎日ショックとストレスを感じ続けています」
避難当初は言葉もほとんどわからず「難しいことばかりだった」。けれど現在は仕事も見つけ、少しずつ生活に活路を見出している。
それでも心が安まることはない。時折、侵攻前に撮影したウクライナの風景や友人との写真を見ることが心の支えになっている。「いつかはウクライナに帰りたい」。ただ、今の状況では難しいと考えている。
ユリ-ヤ・ナウメンコさん(31)さん
「(帰国したいかどうかは)非常に難しい質問です。たとえいつか戦争が終わったとしても、今は日本で仕事もしています。寄付などを通じて、こちらからウクライナの経済などをサポートもできるので、当面は日本にいたいと思っています」
大多数が「長期滞在を」一方で帰国せざるを得ない人も
「日本に長期滞在したい」と考えるウクライナ人はこの1年で大きく増えている。
避難民への支援を続けてきた日本財団が去年末に1000人余りを対象に実施したアンケートによると「できるだけ長く日本に滞在したい」と回答した人は39%で、22年末の調査に比べると15ポイント近く増えた。また「ウクライナの状況が落ち着くまではしばらく日本に滞在したい」との回答も34%にのぼっていて、大半の人が当面帰国は難しいと考えていることが伺える。
2月21日に日本財団とともに会見した避難民のボヤルチュック・ジュリアさん(30)。
一緒に避難した夫の出身地がロシアに一方的に併合された東部の地域に含まれていることから帰国は諦めている。日本への定住を希望しており「ウクライナと日本の架け橋になりたい」と流暢な日本語で話した。
一方、帰国せざるを得ない事情を抱える人もいる。
同席したホデンコ・オレクサンドラさん(22)は22年9月に来日したが、去年キーウにいる母親が病のため入院した。戦争が続いていることや、仕事が見つかるかなど「不安もある」としながらも「帰国するしかないと考えた」。
日本財団はこうした帰国希望者が少なくとも50人程度はいるとみており、今後、希望者を対象に航空券と一時金30万円を支援する新たな取り組みを始める。
軍事侵攻が始まって以降、日本に逃れたウクライナ避難民は2000人を超える。その誰もが友人や家族と離れ、日本に逃れることを決断した。それぞれ固有の状況があり、どんな痛みを感じているかも人によって異なる。
アンケート結果からは、今後日本で定住を目指す避難民が直面するであろう課題も見えてくる。
日本語については、およそ3割の避難民が「ほとんど話ができない、聞き取れない」と答え、依然多くの人にとって言語習得が大きなハードルとなっていることが伺える。就労の状況では半数を超える人が働いていないと回答、働いている人でもフルタイムでの仕事に就いている人は4人に1人に留まっている。
「作家としての仕事、取り戻したい」
避難生活を送りながらも、なんとか「日常」を取り戻そうとする人もいる。
夫を残し、キーウから娘とともに逃れたイリーナ・メルニコワさんもその1人だ。24日、渋谷駅前の集会に参加した。
イリーナさんはウクライナで作家として活動していた。「トニー・ツイスト」の筆名で、子ども向けの小説や、探偵文学など数多くの作品を出版し、国内の複数の文学賞を受賞。ドキュメンタリー映画を制作した経験もある。
去年からウクライナで出版されている若者向けの雑誌に、日本での滞在記を寄稿している。そこには日本での暮らしで気づいたささやかな発見が記されていた。
「『日本』を直訳すると『日が出るところ』という意味ですが、これは本当です! ここでは太陽は熱く、蒸し暑く、まるで接近しているかのようです。 朝の4時に太陽の光で目が覚めてしまうので、毎晩分厚いカーテンで窓を隠しています。 カーテンは日本の生活に欠かせないものです(中略)日本人は皆、プライバシーや個人的な空間をとても大切にしています。 彼らは窓から人に見られることを嫌うのです」(『ジャパン・ダイアリー』より)
軍事侵攻が始まる前までは、子どもなどを対象に小説の書き方や、映画の撮影を教えるオンラインスクールを運営していた。その経験を活かして、去年都内で他のウクライナ避難民に向けた「文章講座」のワークショップを開催した。自分の経験を書いたり、表現したりすることには、大きな力があると信じている。
イリーナ・メルニコワさん
「彼ら、彼女たちにとって非常に大事なことです。自分の痛みや以前の生活についてだけではなく、自分の変化について書いたり、どうしたら生活に喜びを得られるかということについて書いたりしています。書くことはセラピーのように精神的な回復の手助けをするんです」
夫と元通り一緒に暮らしたいという思いや、慣れない土地での不安を抱える中でも、イリーナさんは自分のライフワークをなんとか継続しようとしている。「自分のように母国を逃れた人々がどう立ち直り、生活を取り戻していくかについて伝えていきたい」。
今後は、日本での生活を映像で記録しドキュメンタリー映画として発表したいとも考えている。「悲しみや空襲警報についてではなく、戦争と直接は関わらない事柄について伝えたい」。
未だ終結の兆しが見えないロシアによる侵攻。この戦争は今後ウクライナの国や文化にどのような影響を与えるのだろうか。イリーナさんに尋ねるとこう答えた。
イリーナ・メルニコワさん
「もちろん戦争は悲劇です。私だけではなくて、ウクライナ人みんなが戦争によって変化した。生活は全く異なるものになり、当たり前のことをもっと貴重だと思うようになった。将来平和が訪れた時にも、私たちの考え方は大きく変化したままでしょう。戦争の前のように戻ることはないと思います」