男子走幅跳の橋岡優輝(25、富士通)は陸上競技日本選手権(6月27~30日、新潟)で再注目の1人である。走幅跳はかつて、100m世界記録を出したカール・ルイス(米国)が五輪で4連覇したように、助走スピードが速ければ遠くに跳ぶことができる。だがスピードが速いと踏み切りが“つぶれる”ため、普通の選手は抑えめたスピードで助走をする。その命題に挑んでいるのが五輪と世界陸上で入賞している橋岡で、5月のゴールデングランプリ(以下GGP)で手応えをつかんだ。日本選手権は優勝でパリ五輪代表を決めるだけでなく、メダルを狙うためのステップにするつもりだ。
GGPの5、6本目にファウルでも大跳躍
橋岡に笑顔が戻った。5月19日に国立競技場で行われたGGP。7m97で4位(日本人1位)と外国勢3選手に敗れたが、「次につながる跳躍だった」と何回かコメントしていた。
「最初の2本をファウルしてしまったことはすごく悔しい。最後までそれが響きましたが、(5、6本目は)ファウルでも良い跳躍ができました。まだ思い描いた通りではありませんが、及第点は出せます」
3回目の試技がファウルだったら、記録なしで試合は終了してしまった。五輪&世界陸上で戦うことを考えたらマイナス要因になる。だが追い込まれた3回目で7m94を跳んだことで、後半3回の試技に進むことができた。4回目に7m97に記録を伸ばし、5回目はさらに距離が伸びたが、ファウルとわかると顔をしかめた。6回目のファウルでは手に付いた砂を砂場に叩きつけた。
優勝は今年のアジア室内選手権者のジャン・ミングン(23、中国)だった。自分より若い選手に8m13の自己記録を跳ばれ、16cm差をつけられたのは悔しかっただろう。だが4月のダイヤモンドリーグ蘇州大会優勝のマーキス・デンディー(31、米国)と、昨年のアジア選手権優勝(8m40)の林昱堂(24、チャイニーズタイペイ)とは10㎝以内の勝負に持ち込んだ。
5、6回目のファウルでは、日本記録の8m40前後の距離が出ていた、という関係者の証言もある。橋岡の自己記録は日本歴代2位の8m36(21年)だが、日本選手権での日本記録更新も可能性が出てきた。
米国に拠点を移して助走のスピードアップ
橋岡は世界陸上ドーハで8位入賞した19年頃から、海外に練習拠点を移すことを考え始めた。だが新型コロナ感染拡大で計画は中断。21年の東京五輪でも6位入賞、22年世界陸上オレゴンも決勝に進出した(10位)。そして同年11月から米国フロリダ州のタンブルウィードTCで定期的にトレーニングを積むようになった。
タンブルウィードTCはサニブラウン・アブデル・ハキーム(25、東レ)や、100mで東京五輪金メダリストのレイモン・マルセル・ジェイコブス(29、イタリア)、世界陸上オレゴン銀メダルのマーヴィン・ブレイシー・ウィリアムズ(30、米国)ら、世界トップスプリンターが揃っている。ヘッドコーチのレイナ・レイダー氏は短距離を中心に幅広い種目の指導ができる人物だ。
そこで取り組んだのは、ひと言でいえば助走スピードのアップである。以前の動画と比較すれば、今の橋岡は助走のピッチが速くなり、弾む感じが小さくなっているのがわかるだろう。昨シーズンはアップした助走スピードを生かした踏み切りができず、「絶賛迷子中です」と日本選手権をはじめいくつかの試合でコメントしていた。世界陸上ブダペストでも世界大会自身初の予選落ちを喫した。
しかし今季は3月に8m28と、早い段階でパリ五輪参加標準記録を突破。帰国後の木南記念で7m83を跳んだ翌日の取材には以下のように答えていた。
「踏み切り前の4歩、6歩の(ピッチを上げて)駆け込む局面で走りが若干浮いていました。足先だけでコントロールしようとするので、アプローチが安定しないでファウルになってしまいます」
その傾向がGGPの1、2本目では出ていた。5、6本目もファウルになったので完璧ではないにしろ、良い感触があった。
「浮かずに行けたのですが、記録に結びつけられませんでした。でも、次にはつながると感じました。3月に標準記録を跳んだときより感覚としては良くなっています」
走幅跳は踏み切り時の体への負荷が大きく、昨シーズンまでは橋岡もケガも多かった。肝心な時期に練習が中断することもたびたびあり、世界陸上の予選落ちもその影響が大きかった。しかし今年は痛みがほとんど出ていない。
「以前の跳躍ではタイミングがずれると、体に不具合が生じやすかったのですが、今は素早くパワーポジションに入れるようになったので、ケガが減っています。それに伴い踏み切りも安定してできるようになってきました」
GGP後はタンブルウィードTCがヨーロッパで拠点としているイタリアに行き、レイダー氏に直接動きを見てもらった。
日本選手権で目指すのは8m40以上
日本選手権の橋岡はどこに注目したらいいのだろうか。
すでにパリ五輪の標準記録は突破しているので、優勝すれば代表が内定する。だが橋岡がやりたいのは、新しい助走を安定させて記録に結びつけ、パリ五輪へのステップとなる結果だ。まずは試技前半でのファウルを少なくできているかどうか。GGPの際は次のように話していた。
「前半試技で助走距離が右往左往してしまいました。1本目からある程度(内容が)まとめた助走ができなかったところが、今の自分の弱さです。1本目から納得できる助走をして、試技を進める中で修正を徐々にして、5本目あたりで良い記録を出す試合運びをしたい」
前半試技のファウルが少なければ、GGPの5、6本目のような跳躍がファウルにならずにできる。
「パリ五輪の目標はメダルですけど、まだそこに手が届くような準備はできていません。やっと準備の第1段階に入れたのかなという状況です。これからもっと詰めていって、日本選手権ではある程度良い感覚を得ておきたいです」
橋岡がつかむ技術的な手応えが最も重要だが、その結果が日本記録更新という形になって表れることがベストの形だ。パリ五輪に向けて思い切り踏み切った、と言えるような跳躍を新潟で見られるだろうか。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)