海底の“生きた証”を求めて 太平洋戦争中に沈没した「対馬丸」最新技術で判明した「2つの致命傷」と最期の10分 【報道特集】

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2026-04-04 06:30
海底の“生きた証”を求めて 太平洋戦争中に沈没した「対馬丸」最新技術で判明した「2つの致命傷」と最期の10分 【報道特集】

太平洋戦争中、大勢の子どもを乗せたままアメリカ軍の攻撃で沈没した対馬丸についてです。最新の海底調査で、沈没に至る経緯が見えてきました。この調査を実現させたのは、遺族の執念とも言える強い思いでした。

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「怒りを通り越している」1484人が乗った学童疎開船を攻撃され… 国に隠された対馬丸の悲劇

2025年、一隻の調査船が鹿児島県のトカラ列島の海にいた。

悪石島が見える。船から降ろされているのは、海底を調べる無人探査機。戦後80年にあたり、異例のプロジェクトが実施された。

目指すのは、深海870メートルに沈む学童疎開船「対馬丸」だ。

1944年7月、サイパンが陥落。

「次は沖縄だ」そう判断した日本政府は疎開を進めることを決定。沖縄の子どもたちは「対馬丸」に乗った。

しかし、8月22日の夜、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け、暗い海の底へと沈んだ。

アメリカ軍は日本の補給路を断つため、人や物を運ぶ輸送船を徹底的に狙っていたのだ。

犠牲者は、分かっているだけで1484人。その半数以上にあたる784人が未来ある学童だった。太平洋戦争における船舶被害の中でも、これほど凄惨な悲劇は他に類をみない。

2014年、対馬丸記念館に上皇ご夫妻が訪れ、2025年には天皇ご一家が訪れ、命を落とした子どもたちに、祈りを捧げられている。

しかし、対馬丸はどのように沈没に至ったかなど、長年、謎に包まれてきた。

そんな中、2025年、遺族たちの切実な思いを受け大規模な海底調査が行われた。

対馬丸事件を語り継ぐ数少ない生存者。髙良政勝(たから・まさかつ)さん、85歳。当時4歳だった。

「対馬丸」生存者 髙良政勝さん(85歳)
「私が今ここにあるのは、親父が自分の命をかけて、3日間抱き抱えていたおかげだと思います」

父親の政一(せいいち)さんは、髙良さんの命を救ったが、自らは力尽き、海に沈んでいった。

髙良政勝さん(85)
「兄弟9名と両親、11名が対馬丸に乗った。助かったのは私と姉の2人だけ」

しかし、戦時下では家族の死を悲しむことさえ許されなかった。国は「箝口令」を敷き、対馬丸沈没の事実を徹底的に隠そうとしたのだ。

その実態を伝える、1通の手紙が残されている。

事件前から、すでに鹿児島の学校に行っていた長男が対馬丸の沈没を伝えるために沖縄の祖父母に宛てて書いた手紙だ。そこにはこんな一文があった。

長男(髙良政弘さん)からの手紙
「これまでのことは一行たりとも隣近所の者に知らしてはなりません。極秘です」

1500人近くが犠牲者になった事実が明るみに出れば、疎開事業が進まなくなる。

本土決戦に備え、沖縄から民間人を減らし、日本軍の食糧や、活動場所を確保する。 そのためには、対馬丸の悲劇は「なかったこと」にしなければならなかったのだ。

髙良さんの兄は検閲で没収されるのを防ぐため、郵便ではなく、知人に手紙を託していた。

髙良政勝さん(85)
「(祖父母の)名前がない。住所がない。切手貼られてない。戦争で犠牲になった兄弟たちのことが書いてありますから国にとっては非常に嫌な手紙になる。ですから没収(対象)です。怒りを通り越してます。『安全なところへ連れて行きます』ということで、船に乗せられてやられたら。怒りをぶつけるところない」

引き揚げは「技術的に困難」 “風化させたくない”と記念館設立に奔走も…

遺族たちは、対馬丸がどの地点に沈んでいるのかも分からず、長年、辛い日々を過ごしてきた。希望の光が差し込んだのは戦後50年にあたり、国が本格的に平和事業に動き出した時だった。

調査の会見 (1997年)
「対馬丸と断定できないが、似た大きさのものが海底に横たわっている」

1997年、国による調査が実施された。初めて水中に探査機が投入され、海底深くに対馬丸が沈んでいることが明らかになった。遺族たちはようやく、海に眠る家族の居場所を知ることができたのだ。

遺族
「今日は本当に嬉しいです」

遺族
「沈没地点がわかったということだけも安心」

そして遺族はこう願った。

「政府は1日も早く対馬丸を引き揚げて、遺骨収集をしていただきたいと切望いたします」

だが、その希望はすぐに打ち砕かれた。

政府は、870mという深さなどから「技術的に困難」と結論付けたのだ。

髙良さんたち遺族は「事件を風化させたくない」との思いから、対馬丸の記念館設立に奔走した。

髙良政勝さん(当時63歳)
「若い世代の子供たちが来て、この会館を見ることによって戦争をやってはいけないと決意をしてもらえれば、亡くなられた方たちも少しは慰められるかなと」

しかし、記念館が建ち、事件を伝え続けても遺骨や遺品への思いが消えることはなかった。

髙良政勝さん(85)
「単なる財布、鞄というわけにはいかない。遺品の中にはお父さんの魂がある」

戦後80年 四半世紀ぶりに行われた大規模な調査 海底から家族の“生きた証を”

2025年、髙良さんは鹿児島県薩摩半島の南端、山川港にいた。

ここは漂流の末、髙良さんが救助されたとみられる場所だ。85歳となり、残された時間はもう少ない。戦後、初めてこの地を訪れた。

髙良政勝さん(85)
「家族みんな、ここで亡くなった、別れたんだなと思うと涙が出てきました」

国は戦後80年にあたり、約1億円の予算を計上。2025年11月末、対馬丸の大規模な調査が四半世紀ぶりに行われることになったのだ。調査船には、最新の技術が使われている。

海洋エンジニアリング 勝野遊 調査員
「カメラが非常に良くなったということで、ハイビジョンカメラとカラーカメラを2基搭載しています」

無人探査機は海底2000メートルまで潜ることができる。ロボットアームも付いていて対馬丸周辺で「遺留品」の回収も目指す。調査には、3D技術が導入されている。

勝野遊 調査員
 「どんな姿になっているのか、どんな朽ち方をしている、どんな攻撃を受けたのか。最終的にここまでいけたらいい。一番の目標」

そして、いよいよ。

記者
「対馬丸の調査のため、今、最新の技術を乗せた調査船が出航しました。新たな真実を見つけることができるのでしょうか」

2025年11月29日、鹿児島県悪石島沖。調査開始を前にデッキでは黙祷が捧げられた。 

同じころ、沖縄県那覇市の「対馬丸記念館」。会議室に入るのは、生存者の髙良政勝さんだ。

髙良さんら遺族は調査船から送られてくる映像を、リアルタイムで見守る。

午前8時40分、無人探査機が、ゆっくりと海の中に投入された。徐々に暗くなっていき、光の届かない世界へ向かう。 投入から約1時間10分。無人探査機が対馬丸の船体を捉えた。

調査員
「見えてきましたね、左にあります」
「アンカー(錨)ですかね、飛び出てるもの」

沈没から81年。海底870メートルに今も対馬丸は沈んでいた。

調査開始から2時間が過ぎると、カメラが船体の右舷側、船首付近を捉えたその時。

「出てきた出てきた、馬が出てきた、対馬丸出てきた」

その文字は、くっきりと残っていた。

髙良政勝さん(85)
「文字を見ると、お亡くなりになった人の顔を見るような感じで、辛くなりました」

そして、遺族たちが強く願っていた「遺留品の収集」に向けた作業が始まった。何か一つでも、生きた証を持ち帰りたい。その一心で髙良さんはモニターを見つめ続ける。

髙良政勝さん(85)
「何かすくって持っていきたい」

しかし、870メートルの深海と81年という時間は残酷だった。 

子どもたちの靴や鞄など、身の回りのものは、潮に流されたのか、海底の砂に埋もれたのか、見当たらない。

遺族たち
「タカアシガニ、ずいぶんと立派な」

そのカニのそばには、太い棒があった。

勝野遊 調査員
「おそらく鉄。かなり重たいと思う」

早速、収集を試みると。

調査員
「これで上がるってことは思ったより重くない」
「重くはないのかもしれないです」
「1メートルくらいある?」
「もっとあるかもしれない」

だが、持ち運ぶには大き過ぎて、収集を断念した。

髙良政勝さん
「せっかく上がったのに、もったいない」

ただ、すぐそばにあった対馬丸のものとみられる木片は、回収に成功した。

髙良さんには、どうしても持ち帰りたいものがあった。

髙良政勝さん(85)
「船の周りに骨らしいものはない?」

調査チーム
「ないですね。潮を見ると流れてる」

髙良政勝さん(85)
「80年も経っているからね」

遺骨の収集を強く願う髙良さんのために、調査チームは「ある決断」をした。

調査チーム
「この辺の砂、積めるだけ積んで」

それは子どもたちが眠る、海底の「砂」の収集だ。 

髙良政勝さん(85)
「がんばれ」

海底でも潮の流れは早い。遺骨が混じっているかもしれないその砂を、なんとか箱の中に収めた。さらに調査では沈没に至る痕跡も見つかった。

子どもたちが深い眠りに付く中、約10分で沈没 最新調査で見えた“2つの致命傷”

調査チーム
「右側の大きめの穴、見えますか。外板がめくれてる」

内側から外側に向かって、大きくめくれ上がる船の外板。同じ場所には、円柱状の長い柱も。

さらに…

勝野遊 調査員
「(魚雷を)受けた痕ではないかな」

ギザギザに壊れた大きな穴も見つかった。

そして今回、現場で得られたデータにより、現在の対馬丸の姿を3Dモデルとして再現することができた。

船首側の穴は、外板がめくれあがっていた。横幅は、約10メートル、縦は約7メートルにも及ぶ。同じ場所にあった柱は、倒れたマストだったことが明らかになった。

勝野遊 調査員
「おそらく(魚雷が)当たって中で爆発したときの痕ではないかなと推測されます。外板が外に向いているのではないかと」

もう一つ穴は、船尾側にあった。
映像でも確認できたギザギザした形の穴だ。大きさは船首側と同程度だった。

子どもたちが深い眠りについていた夜中に10分ほどで沈没したという対馬丸。この2つの穴が致命傷になったとみられる。

さらに対馬丸は、船首側が左に少し傾き、全形を留めたまま沈んでいることもわかった。
その方角は、奇しくも子どもたちが目指していた九州を向いていたのだ。

3D画像の解析結果をもとに再現するとこうだ。

対馬丸は、アメリカ軍の魚雷を左舷の船首側と船尾側に被弾。それによって空いた穴から海水が流れ込み、浮力を失った船は多くの子どもたちとともに、海底870メートルの海に沈んでいった。

「対馬丸だけではない」「戦後処理はまだ終わっていない」遺族の思い

海底から回収したものの分析結果が出た。

パレオ・ラボ 森将志さん
「これが木材です。これが海底の堆積物になります」

引き揚げられたのは、対馬丸の一部とみられる木材に、鉄、海底の砂だった。残念ながら、砂の中から骨の成分は見つからなかった。

そして2026年3月26日。 

海底から収集されたものが、沖縄県の「対馬丸記念館」へと引き渡された。

髙良政勝さん(85)
「本当に感慨深いものがありますよね。長い間、ごめんなさいという感じです」

生きた証を待ち望むのは髙良さんだけではない。

太平洋戦争中、船舶への攻撃で犠牲になった船員は6万人以上にのぼる。その多くは、今もどこに沈んでいるのか、詳細は分かっていない。

髙良政勝さん(85)
「対馬丸だけじゃなくて、他の船の疎開者が生存している限り、慰霊はやってほしい。国が戦後の処理をしないといけない。戦後処理はまだ終わってないと思う」

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